「気分は下剋上 叡知な宵宮」5

「気分は下剋上」叡知な宵宮
This entry is part 5 of 26 in the series 気分は下剋上 叡知な宵宮

「もう屋台の設営をしているのだな……」
 アスファルトの道路には陽炎かげろうが揺れているのに、最愛の人の声は、鈴の音のように涼やかに弾んでいた。
「そうですね。屋台もお祭りに合わせて全国を移動するらしいですよ。今は花火大会の季節なので書き入れ時なのかもしれないですね」
 最愛の人は、とても楽しそうな笑みを浮かべて車窓を見ている。こういう無邪気な笑みは、大学病院で浮かべないので、恋人の特権だろう。今にも車から降りて屋台へ駆け出しそうな雰囲気だ。彼は幼い頃、病弱だったお母様と二人暮らしだったので、こういう屋台に行く機会がなかったと聞いている。
「いったんホテルでチェックインを済ませてから川沿いを散策しましょう。浴衣はあまり着ている人がいないので、さらに陽が落ちてからでしょうね」
 車を出ると、もわっとした湿度に晒された。
「何だか亜熱帯そのものといった感じだな……」
 最愛の人の感想に頷いてしまった。
「ただ、湿度という点では京都のほうが高いですよね。京都では濡れた温かい布をかぶったような感じですから。やはり盆地だからでしょうかね……」
 ホテルに入るとクーラーが程よく効いていて、ようやく一息つけた気がした。
「川が近くにあるからと言っても、さほど涼しくないのだな……」
 このホテルに来たのは初めてで最愛の人は物珍しそうに辺りを見回している。
「そうですね。鴨川の川床かわどこも、川のせせらぎを眺めながらの食事の雰囲気は抜群ですが、蒸し暑さは変わらないと聞いています。涼しさを求めるなら貴船まで行かなければならないと思います。行ってみますか?」
 ホテルにチェックインしながら他愛のない会話を交わした。
「いいのか?今年も暑いので、クーラーではなく自然の涼しさとマイナスイオンに包まれるのも心身ともにリフレッシュ出来そうだ」
 怜悧な声と華麗な笑みがよりいっそう咲き誇っているような気がする。
「もちろんです。貴船あたりは鬱蒼うっそうとした木々が圧倒的ですからね。それに人があまりいないのもいいですよね。貴船神社は丑の刻参りのメッカらしいですよ。午前三時ごろには、本当にお参りに来る人を見かけるかもしれませんよ?ロウソクを買いに行った時にその話題が出ていましたよね?」
 天神祭りの花火目当ての人がたくさんいるホテルはきっと書き入れ時なのだろう。ホテルマンも忙しそうな様子で客の間を縫ってキビキビと歩いている。
「……そうだな。どういう人がそういう呪いをしにくるのか興味がないと言えばウソになるけれども、あれは他人に見られたら効果がなくなると信じられているだろう?それを邪魔するのは忍びない。科学的には全く意味のない行為だし、法律的にもせいぜい器物損壊罪で、殺人罪には問われない……。神社の御神木を傷つける行為なのだから、我々には関係がないし」
 器物損壊罪に抵触するのは何となく分かる。確か他人の飼い猫や飼い犬に手をかけてしまった時に警察に駆け込めば罰せられると聞いた覚えがある。今では倫理的に禁忌とされている犬猫の解剖の「座学」で、人が飼っている犬猫は絶対に駄目だと聞いた記憶がある――昔は実際に行ったと聞いているが、犬や猫を解剖して医学の役に立つとは到底思えない。
「え?殺人罪ですか?そんなの真面目に考える人がいるのですか?」
 祐樹にはさっぱり分からない。それよりも「今から丑の刻参りをする」と脅されるほうがよほど怖い。なにしろそういうメンタルヘルスに問題がある人とは絶対に関わり合いたくない。祐樹のような性的嗜好の持ち主には情緒不安定な人が多いというのが経験則で分かっていた。実際ストーキングされて危うく職場を特定されそうになったこともある。そういう感情の波に呑まれてくる人たちを、祐樹は何度も見てきた。相手がそういう狂気じみた行為をするたびに、足元の砂が崩れるような思いだった。最愛の人はそういう危うさがなく、いわば大地だった。祐樹が傾いても、沈みそうになっても、支えてくれる地面のような存在だ。その確かな愛情に甘えている部分もある。しかし、彼の場合、祐樹がそう告げたとしても「支えられているのはむしろ私だろう」と、真顔で言うだろうなと容易に想像できてしまう。
「神社の御神木に釘を打つ行為は通報されれば器物損壊罪になる。そして――」
 デート中の恋人同士の会話には相応しくないかも知れないが、祐樹や最愛の人にとってはこういう会話を好んでいるので問題はない。
「でも、バレないですよね?午前一時から三時なんて目撃しようがないですし、呪いの藁人形には髪を入れると効果抜群だと、何かで読んだ覚えがあります。つまりDNAは採取出来るでしょうが、それは犯人のものではなくて、呪いの被害者のDNAですよね?特定には至らないと思います」
 祐樹の顔を見上げる最愛の人の青薔薇のような笑みは、きっとそこまで追い詰められた人のことを思っているに違いない。
「正式な作法――といっても民間伝承では祐樹の言うとおりだ。しかし、髪の毛などDNAが採取できるものが手に入らなかった場合は写真などで代用されたり、呪う人の名前が書いてあったりするらしい。殺人罪は昭和54年に判決が出ていて因果関係が証明出来ないので、無罪だった」

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