- 「気分は下剋上 叡知の宵宮」1
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「器物損壊罪は親告罪といって、その物の所有者しか被害を警察に報告できないのだ。殺人罪などは、たとえばご遺体が見つかると警察は動くだろう?それは親告罪ではないからだ」
最愛の人はすっかり落ち着きを取り戻した笑みを花のように綻ばせている。
「なるほど、よくわかりました。ふと思ったのですが、もし殺人罪が親告罪だったら、既に亡くなっている人は告発できないですよね。そうなると、殺人し放題という、おかしなことになってしまいます」
横を歩いている最愛の人は銀の鈴を振ったような笑い声を立てている。
「たしかにそうだな。そこまで考えたことはなかったが、祐樹の言うとおりだ」
彼が「祐樹が、万が一目に怪我をしたら」という最悪の想定を忘れてくれたことに安堵した。しかし、あの自称インフルエンサーだかYouTube配信者か知らないが、最愛の人の手にスマホを飛来させるだなんて、とんでもないことをやらかしてくれたなと今考えても腹が立つ。あの女性もわざとスマホを飛ばしたわけではないのは分かっているが。
「手、本当に大丈夫ですか?本当に冷やさなくてもいいのですか?」
彼の両手を見た。
「この程度なら冷やす必要はないと思う。救急救命室の杉田師長なら『そんなもん、ツバをつけたら治るわよ』とバッサリ言う程度なのだから」
最愛の人のやや甲高い声は杉田師長の特徴をよくとらえていた。卓越した記憶力を誇る彼が、学生時代にボランティアとして参加した救急救命室で聞き知った言葉なのだろう。祐樹は、思わず笑ってしまった。
「それ、杉田師長に似ていますね。早口にまくし立てる点が秀逸です」
微笑みながら最愛の人を褒めると、薄紅色の花が開花したような笑顔を浮かべてくれた。耳に心地いい音がしてエレベーターが停止した。
「さて、インペリアルラウンジで花火見物――そして、愛の交歓の『食前酒』を楽しみましょう」
このフロアには祐樹や最愛の人のような浴衣姿、しかも外国の人が多かったのは円安のせいもあるのだろう。インペリアルラウンジも人が多そうな感じで、予約すれば良かったなと後悔した。
「お客様、あいにくですが、相席でよろしければお席のご用意はできます。いかがしましょうか?」
コンシェルジュの女性が示した席に座っている老夫婦に見覚えがあるような気がした。
「あのご夫婦……」
祐樹の記憶力などはるかに凌駕する最愛の人に耳打ちした。
「あれは菅野純一さんとその奥様だ。二年前、具体的には一年と七か月前にバイパス術を施した。九州在住だったと記憶しているが、今は九州から大阪まで花火見物に来ることができるようになったらしいな」
最愛の人の笑みは健全な嬉しさで煌めいている。それを聞いていたコンシェルジュの女性の笑顔が徐々に真顔に変わったのは何故だろう。そういえば、祐樹が主治医を務めた菅野さんは、九州で手広く事業を営んでおり、九州では「殿様」という異名を持っていると聞いたことがあった。祐樹は、自分の記憶力のキャパの容量の限界を自覚しているので、患者さんだったときはしっかり記憶しているが、退院したら心のゴミ箱にそっと移動させている。
「お話の途中で申し訳ございません。香川様と田中様は、岩松様のご紹介とのことですが、菅野様ともお知り合いでいらっしゃいますか?」
口元には営業スマイルを浮かべているが、目は笑っていない。
「はい。ご主人のほうの菅野さんは私が執刀しました。主治医を務めたのはこちらの田中です」
何故そんなことを聞かれるのか分からないといった最愛の人に祐樹も言葉を挟んだ。彼女にどういう意図があるにせよ、恋人の自慢ができるのは嬉しい。屋台の並ぶ通りで、子供のようにはしゃいでいる彼の姿は祐樹一人が独占したいが、このインペリアルラウンジは半ば公的な場所だ。
「香川教授の手技を慕って国内外から患者さんが集まってきます。菅野さんもその一人です」
彼女は「きょ……京都大学病院の香川教授……」と呟いたのちに、満面の笑みを浮かべた。
「アメリカ時代から名医として名を馳せていらっしゃる教授ですね。気付かず、大変失礼いたしました。雑誌で拝見したお姿とまったく印象が異なっておられましたので」
深々とお辞儀をしている彼女に、最愛の人は苦笑いを浮かべている。
「あれは取材に来た記者さんから『こういう笑みを浮かべてください』と注文を受けたからです。それに今はオフなので前髪も下ろしていますし、何より浴衣姿ですから、どうかお気になさらないでください」
目立つことの嫌いな最愛の人だが、病院長命令でビジネスパーソンを対象とした雑誌の取材を受けることも多々あった。雑誌が発行されたら出版社から郵送されてくるのが業界の慣習なのだろう。祐樹がたまに昼食に招かれる教授執務室で最愛の人が大きく載った記事を見ることがあった。「名医に聞く心筋梗塞にならない十の習慣」などだ。記事の文字は祐樹にとってはごくごく当たり前のことなのでさほど興味は惹かれないが、写真となると話は別だった。
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