「気分は下剋上 叡知の宵宮」1

「気分は下剋上」叡知な宵宮
This entry is part 1 of 26 in the series 気分は下剋上 叡知な宵宮

「祐樹、あれはどこにお供えする物なのだろう?そして、なぜ茄子なすと胡瓜がセットになって売っているのだ?」
 服を買うためにデートがてら訪れた百貨店の食料品売り場で最愛の人が不思議そうに首を傾げている。
「ああ、あれですか?京都では、大文字の送り火で一括してご先祖様をあの世へと送るので、さほど馴染みがないのかもしれませんね」
 最愛の人は物心ついた時から心臓病で臥せっているお母様と二人暮らしだったと聞いている。京都では一般的なのかどうかまでは知らないが、彼のことを思えば、そう言うのがいいだろう。
「お盆の時期にスーパーでもよく見かけていて、いったい何だろうと思っていた」
 ……もしかして京都でもごくごく普通の風習だったのかもしれない。
「ほら、節分の時に貴方が作って下さる恵方巻と一緒ですよ。もともとは江戸時代、大阪の船場せんばの大商人が商売繁盛を願って食べたとか、大阪の花街由来だとか諸説あるみたいですが、今では、コンビニチェーンの思惑通りに全国区で『恵方巻』が有名になりましたよね。それと同じではないですか?」
 「大文字の送り火」と耳にした瞬間、あの夜の屋上で交わした愛の交歓がふいに脳裏をかすめたのだろう。最愛の人の頬が、まるで宵に咲く花のように、静かに桜色へと染まっていく――滑らかに、そして愛おしく。そっと首を振った最愛の人は、祐樹を見上げ、可笑しそうな表情だった。
「祐樹がチョコレートをたくさん貰うバレンタインもそういうブームを作り出した洋菓子店の戦略だし……」
 バレンタインのたび、香川外科の医局はチョコを持ったナースや事務の女性から山のようにチョコが届く。「祐樹はモテるのだな……」最愛の人はひとつひとつ包みを開いて丁寧に味わっていた。しかし、最愛の人は気づいていない。それが祐樹の立場、つまり一介の医局員だからこそ気軽にチョコを渡せるのだということに。教授職に就く人間には、敬意と緊張が先に立ち、言葉も手も伸ばしづらいという事実にまるで頓着しないのが彼らしいと言えば彼らしかった。チョコレートという言葉が効いたのか、さらに楽しそうな笑みを浮かべている。
「お盆にはご先祖様達があの世から帰ってくると信じられていたでしょう?茄子と胡瓜はその乗り物なのだと信じられていましてね。胡瓜は馬、茄子は牛に見立てられています。この世に帰るときには、俊足の馬である胡瓜に乗って早く帰ってきて欲しいとの気持ちを表しています。そして、帰りは牛のようにのんびりと、名残を惜しみながら、ゆっくりあの世へ戻って欲しいというという想いが宿っているらしいです。ウチの実家はご存知の通り田舎ですので、茄子と胡瓜に足として細く削った割りばしを刺すように母に命じられたのです。胡瓜にも茄子にも六本ずつ足を刺していました。四本よりも六本のほうがかっこよく見えたのです」
 祐樹は、小さく笑った。最愛の人はその頃の祐樹を想像したのか、さらに楽しそうな笑みを浮かべている。実家に一緒に帰ったとき、祐樹の母が最愛の人にアルバムを見せたことがあったので、想像しやすいのだろう。
「母には怒られましたよ。『それは牛でも馬でもない』と。……そのとき初めて、あれが馬と牛だと知りました」
 最愛の人は控えめな笑みの花を唇に咲かせていた。
「『でもさ!馬よりもオニヤンマのほうが速い』と言い返しましたが思いっきり呆れられてしまいました。『昆虫じゃないの』と」
 ふっと唇だけでなく目元まで綻ばせた最愛の人の横顔に、祐樹の心のどこかがやわらかく溶けてゆくのを感じた。百貨店の雑踏のなかで、最愛の人は声を立てることなく笑う。その眼差しと唇の端が上がっているだけで、それが誰よりも雄弁で、そして美しい。
「祐樹、せっかく二人で来たのだから……盃を見に行かないか?『大』の炎が大きく映るような器を見つけたい」
 彼の声が朝日を浴びた白薔薇のように、ほのかに光を含んで弾んでいた。控え目な喜びが透けて見えるようで、その響きだけで祐樹の胸の奥があたたかくなった。
「だったら、ついでに大きなロウソクも買いませんか?」
 エスカレーターに並んで立ち、最愛の人の耳元で囁いた。
「え?それはいったい何のために?」
 心底不思議そうな顔だった。その表情が、祐樹には少しおかしくて、そして愛おしかった。比べるのも申し訳ない気がするが、かつての刹那の恋人と最愛の人を並べること自体失礼な気もする。しかし、祐樹のかつての刹那の恋人ならきっと――「ロウソクを垂らすプレイ?あれって剥がすとき、痛いんだよね」と勝手に誤解して、期待に頬を赤く染めていただろう。尤も祐樹にそんな趣味はない。すべて想像と「グレイス」での伝聞にすぎないが、それでも今、何の打算もない無垢な瞳で見上げる人が隣にいるということに、どうしようもない幸福を覚えた。

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