「気分は下剋上 月見2025」22

月見2025【完】
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This entry is part 22 of 25 in the series お月見 2025

「ここの、この形が変わったら、祐樹は興ざめなのだろうか?」
 最愛の人は紅色に染まった胸の尖りを細い指でそっと触っている。先ほどの愛の交歓の後の高揚した気持ちと、程よく酔いが回った日本酒のせいで不用意なことを言ってしまったと後悔した。
 大学病院で数多くの医局員と看護師を従え、颯爽と先頭を歩く最愛の人は自信満々に見えると他科の入院患者さんが言っているらしい。整形外科に足を複雑骨折して入院している患者さんなどは、噂を聞きつけて「香川教授の回診が始まるらしい」と言い合って病室の窓際に集まると、整形外科の麻田先生が言っていた。何しろ看板教授なので、噂にしても格好の話の種なのだろう。入院患者さんは、思い込みによる記憶の補正が働いているのだろうか。実際の彼は自信満々というより、怜悧で端整な顔のままで病棟を回っているだけだと、後ろをついて歩く祐樹は思う。
 それはともかく、他者にどう思われようとも、最愛の人は悲観論者だということを知っているのは祐樹だけで、その祐樹が、彼を不安にさせることをうっかり言ってしまった。
「まさか!私が愛情をこめて愛した身体ですから、二つの胸の尖りが大きくなったら、それはそれで私の丹精が実った結果で嬉しく思います。形が崩れるといっても、歯で噛んで舌で撫でていますよね。そのときの歯の強さが原因でそうなったのでしょうからやはり責任は私にあります」
 最愛の人は祐樹が強く噛むのが好きで、その快楽を肢体が思い出したのか、ヒクリと月に照らされた肢体を動かした。その様子は、満月の夜の海で煌めく太刀魚のように綺麗だった。
「――二人の愛の歴史が貴方の肢体を少しばかり変えたとしても、何の問題もないです。むしろ誇りに思います。二人の愛の結晶ですからね」
 強い口調で本音を言い募ると、最愛の人の愁眉が、やわらかに開いた。
「そうか。祐樹が良いのであれば、安心だ」
 外科医としての名声、それに付随して得た莫大な資産、そのどちらかだけを得ても人間は高慢になるというのに、彼はそういう高飛車な点が全くない。むしろ自信のなさが際立っているのは自己肯定感が低いのではないかと祐樹は思っているが、そういう素人心理学者の分析めいたことをしておきながら、先ほどの発言は失言だったと心の底から反省した。
「――旅館の食事というのは、どれもこれも日本酒とよく合うな」
 最愛の人は気持ちを切り替えるように細い首を振ったのち、大きな盆に載った小鉢の中に入っている分厚い昆布を食べ、黒い漆が塗られた盃を紅色の唇へと近づけている。うっすらと漂う湯気に包まれ、月の明かりに照らされた最愛の人の端整な横顔はまるで幽玄の美のようだった。
「そうですね。この数の子も、とても美味しいです。塩が程よく効いていて、歯ごたえも抜群です」
 月の光によく似た黄色の数の子を箸で摘まんで空中へとかざした。
「旅館の中や庭園を散策したり、大浴場に何度も行ったりするという楽しみ方もありますが、貴方と二人、浴衣姿でごろごろしながらお酒を飲み、肴にぴったりな小鉢を味わうだけでも充分楽しいです。それに浴衣はその気になったら、帯を解けば、すぐさま生まれたままの姿になれます。いや、俗に言う昆布巻きという愛の行為も捨てがたいです。貴方はどちらをお好みですか?」
 最愛の人は箸を箸置きに置いて、何だか難しい症例の術式を考えているような表情だった。何に取り組むにしても真剣な人だ。祐樹などはノリで突き進むときもあるので見習わないとならない一面だ。
「時と場合によるな……。浴衣越しというもどかしさで祐樹の愛撫を受けるのも大好きだし、直接触れられる鋭い悦楽も捨てがたい」
 最愛の人の場合、考え抜いた末の結論だろうと思うと愛おしさが募る。大振りのお盆を手でゆっくりと払うと、まるで小舟のように湯の上を滑っていった。
「では、この指の動きでは、鋭い悦楽なのですか?」
 月の光の下で冴え冴えと煌めく二つの胸の尖りを指で摘まんできゅっと捻った。
「あ……っ」
 最愛の人の肢体がお湯の中でかしいで祐樹の身体に寄り添ってくれた。愛の行為をねだるわけでもなく、何だか灯篭の火にひかれて稀に集まるセミのような感じだった。この季節にセミはいないが、セミの鳴き声も、今を盛りとばかりに鳴く鈴虫の音も、求愛目的だ。彼の月の光を纏った肢体を強く抱きしめた。鈴虫の鳴く声と、満月の光が二人の愛を祝福してくれるかのようだった。
「もう少し、このままでいましょう。もちろん貴方が良ければ、ですが」
 お湯に浸かった肢体は普段よりも熱を帯びていて新鮮な抱き心地だ。最愛の人の身体はいつもひんやりとしていた。それはそれで祐樹を興奮させてくれる。そして愛の交歓が進み身体が火照ってくると小さな達成感を覚えてしまう。ただ、今は月と湯気、そして鈴虫の妙なる調べを聞きながら、ただ抱き合っているだけで十分すぎるほど幸せだ。
「それは祐樹に任せる。祐樹がしたいと思ったことが、私の望みでもあるのだから」
 最愛の人は祐樹の肩に頭を載せて、紅色の唇が祐樹を想う言葉を紡いでいた。

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