「気分は下剋上」SP 執務室でコーヒーを 後編

短編
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「私が流しそうめんみたいに、恋人に流されてしまったら、今頃私は東京のどこかの病院勤務か、下手したらどこかのタワマンで同居人の帰りを待つだけの存在になってしまいかねなかったのです。『オレはそういうの絶対に嫌だ!』と何度も釘を刺していました」
 呉先生の暴露話に、最愛の人はさほど驚いている様子がなかった。きっと前々から呉先生に愚痴られていたに違いない。夏輝はアーモンドのような目を見開いて、複雑な光を宿していた。祐樹は森技官が呉先生の尻に敷かれている関係性だと思っていたため、結局のところ森技官が折れて話は白紙に戻ったのだろうと推測した。ただ、森技官は将来の事務次官がほぼ確定している官僚様なので霞ヶ関に近いタワマンも、そして呉先生の勤務先を見つけることなどは簡単だろうなとは思った。
 何しろ森技官の実家も産婦人科クリニックであり、祖父母に溺愛されて育ったという。きっと、祖父母にどう振る舞えばお小遣いがたくさんもらえるか、計算していたに違いない。得意の盆栽だってきっとそういう邪な意図で覚えたのだろう。
「それだけ愛してくれる恋人っていうのも羨ましいですけど、やっぱ愛人みたいな生活をするのは違くね?と僕は思います。田中先生と香川教授、呉先生とそして、まだ会ったことのない呉先生の恋人なんかの関係性ってとてもイケてるって思います。やっぱ、対等じゃなきゃ恋愛ってうまくいかないんだなって実感します。いや、呉先生みたいにビシッと言えたら最高ですね。僕はやっぱり恋愛には早いんだなって思います。今は美容師になってアメリカに行くっていう目的を第一に考えて、一人前の美容師になってから恋愛も様子見しようかなって」
 夏輝の言葉に呉先生は水を得たスミレのような笑みを浮かべていた。
「祐樹、どうした?具合でも悪いのか?」
 最愛の人が心配そうに聞いてきた。
「いえ、そうではないです。少し疲れが溜まっているような感じです。数秒眠っても構いませんか?」
 疲れなど溜まっていない。むしろ生まれて初めての胃痛がフラッシュバックしそうな予感にさいなまれていただけだ。森技官が最近ハマっているという「すき家」の「わさび山かけ牛丼」をスマホで検索したら、山かけとは自然薯かどうかまでは分からないが、とにかく長芋をすり下ろしたものが牛肉の上に載った牛丼だった。――「森技官、いい加減自然薯からは離れろ!」と強く言いたいが、元々は祐樹の適当に書いた論文のせいだと思うと言いにくい。ちなみに、呉先生が贔屓にしている「吉野家」には、とろろ芋を使った類似メニューは一切存在しなかった。森技官はもしかしてEDとまではいかないだろうが、ストレスか何かで男性機能の低下などの自覚があるのではないかと勘繰ってしまう。森技官の弱みを握っておくのは祐樹にとっても重要な防御になり得るが、こんなデリケートなことは流石に聞けない。呉先生が最愛の人に漏らすということはあるかもしれないけれども、最愛の人が祐樹に言うかどうかまでは分からない。むしろ言わないのではないかと予想した。
 最愛の人は祐樹が笑うような話題は積極的に話してくれるが、それ以外は消極的だ。それに祐樹から「森技官の男性機能は衰えていますか?」などと最愛の人に聞けない。ましてや森技官に直接言ってしまえば普段の言葉の刃ではなく、物理的な打撃を加えられる恐れがある。森技官は精神科のメンズナースのように筋骨隆々という身体ではないが、柔道か何かを習っていて「喧嘩もものすごく強い。夜中の吉野家でチンピラをのした」と呉先生が言っていた。祐樹は精神攻撃なら耐えられるが、物理的なものは遠慮したい。EDだということがバレないように守秘義務を負っている医師にも相談せずに、怪しげなサイトで買ってしまう人も多いらしい。それほどデリケートな問題なので踏み込めない。森技官がED疑惑ではなくカツラだったら、滑ったふりをして頭に手を伸ばすという「立証方法」が考えられるのだが、EDなんて呉先生しか知らないだろう。
「それはそうと香川教授、父の手術の執刀してくださるのですね。本当にありがとうございます!ただ、実は母が――そのう、色々詳しい人に聞きまくったらしいのです。そしたら、田中先生のほうがいいって言う人も――」
 自分の名前が出たので、寝たふりは止めて目を開けた。夏輝は最愛の人の様子を細心の注意を払って観察し、その上で言葉を選んでいる。まるで野生のリスが捕食者に狙われていないか確かめるような感じだった。夏輝にしてみれば祐樹と最愛の人が仲のいい恋人同士だとは知っている。しかし、同じ心臓外科医としてお互いがどう思っているかまでは分からないのだろう。夏輝は、美容師専門学校に通っていて、美容甲子園という催しに出場するらしい。詳しい仕組みまでは知らないが、常識的に考えてクラスメイトでもライバルなのだろう。そういう関係性では、妬みなどから友情が壊れる可能性もある。夏輝はそういう微妙なバランスを経験則として知っているのだろう。だからこそいつでも話題転換できるように備えているのではないかと祐樹は思った。
「そうですか!お母さまも『S &Kカンパニー』の副社長ですから相当な人脈をお持ちですよね?その中で、祐樹の名前があがったのですか」
 最愛の人は誇りやかに咲く白薔薇のような笑みを浮かべている。夏輝は心の底からホッとしたような笑みを浮かべていた。最愛の人が祐樹の外科医としての成長を何よりも喜んでいるのが、夏輝にも伝わったのだろう。
「そうなんです。新進気鋭の田中先生を推す人も多かったらしいんです。でも、父は香川教授を熱望していて、とにかく執刀してくださるようでとても嬉しいです。父のこと、本当によろしくお願いします」
 夏輝は、食べかけの焼き栗モンブランを大切そうに皿の上に置いてソファーから立ち上がり深々とお辞儀をした。

 <完>

―――――

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