「気分は下剋上 知らぬふりの距離」9

「気分は下剋上 知らぬふりの距離]
This entry is part 9 of 23 in the series 知らぬふりの距離

 救急車のサイレンの音が近づいてきた。一台だけなのできっとあれが祐樹の担当する患者を乗せた車だろう。普通の人なら慌ただしさを感じるだろうが、祐樹は感覚が麻痺しているのか、(これから頑張るぞ!)という気持ちにしかならない。
 救急車専用の駐車場に停まったかと思うと、救急隊員がバイタルなどを早口で説明している。事前に知らされていたように心筋梗塞の可能性が濃厚だと祐樹も判断した。
 上質のスーツをまとった患者を抱き上げ、病院用のストレッチャーに移した。真っ青な顔に大粒の汗が浮いている。
「斎藤さん、用意はしてあるのですよね?ところで、顔色が悪そうだけど、大丈夫?何なら他の看護師に頼みますが」
 彼女の顔色の悪さも気になった。ストレッチャーを押しながら矢継ぎ早に聞いてみた。
「心筋梗塞セットは既に準備ができています。他の看護師は多重事故にかかりきりなので、私しかいません。大丈夫です」
 やや息が荒いのが気になったが、背に腹は代えられない。処置室に入ると、柏木先生は先ほど搬送された心肺停止の若者に馬乗りになり開胸心臓マッサージの最中だった。「頼む!動いてくれ!」祈りに似た声を発しながら手を動かしている。また、別の医師は開胸し、血管の結索術を施している。きっと肋骨が肺に刺さっていたに違いない。血と内臓の臭いがたちこめ、モニターの警告音が緊迫感を煽っている。
「あれもこれもしようとしないっ!!吉田!!何度言ったら分かるのっ!?優先順位は拍動を平常値に戻すことでしょ!!」
 杉田師長は最も危なっかしい吉田先生に付きっ切りだった。祐樹が担当する患者さんの衣服を斎藤看護師が切り裂いていく。オーダーメイドと思しきスーツだけれども、命には代えられない。スマホや名刺入れなどは分けて置いてあるのも流石は杉田師長の指導の賜物だろう。祐樹はそんなことを頭の隅で考えながら気道を確保し、自発呼吸を確かめた。
「斎藤さん、心電図と心エコー」
 この男性の意識はないが、自発呼吸があって助かった。
「これはST上昇型心筋梗塞だ。心臓外科に連絡。今日は黒木准教授がいるはずなので、受け入れOKかどうか聞いてください」
 祐樹は、斎藤看護師に指示を出しつつ、血圧をチェックしてニトログリセリンの静脈注射を行った。
「心臓外科、受け入れ可能との……ことです」
 斎藤看護師はそう告げると血の海になっている床へと倒れ込んだ。祐樹は反射的に動いて彼女の頭部をかばった。頭を打てば脳に損傷を与えかねないので。首筋に触れると明らかに体温が高かった。計測しているわけではないが、祐樹の経験則だと38℃以上だろう。
「ちょっと、斎藤大丈夫なのっ?」
 杉田師長が甲高い声で叫び、血の海などないような、確かな足取りで近づいてきた。
「田中先生、ありがとうございます。そしてご迷惑をおかけして申し訳ありません……。師長、私は大丈夫です。まだご家族に連絡する必要もあります」
 気丈な言葉とは裏腹に呼吸は荒い。
「熱発、多分38.5℃。扁桃腺が腫れてるわ。インフルなどの伝染力の強いものではなさそう。あのね、斎藤、さっきは田中先生が頭部をかばってくれたけど、足手まといなのは分かるわよね?ここは健康な医師や看護師しか居てはならない所なの。解熱剤を入れた点滴を用意する。だから休憩室で休みなさい」
 杉田師長の言葉はぶっきらぼうだが、眼差しは優しい。
「はい。すみません」
 斎藤看護師が頭を下げた。
「清水先生、もう、そっちの患者は私が診るから、斎藤を」
 清水研修医はみなまで言わせずに言葉を挟んでいる。
「了解です。毛布と解熱剤入りの点滴スタンドを運んだ上で、看護師休憩室に彼女を連れて行きます」
 清水研修医も祐樹同様に処置室全体を見て自分がすべきことをわきまえている貴重な人材だ。
「そうじゃない。先に彼女を運んでから、点滴と毛布ね。お願いするわ。ところでそっちの患者さんのご家族への連絡は、田中先生にお願いするわ!!」
 救急救命室では「手の空いている人間が何でもする」という不文律がある。しかも、救急救命室の「法律」さまのご託宣には従うしかない。
 名刺入れを開けると、片側には「S&Kカンパニー CEO 有瀬誠一郎」という名刺が十枚以上入っていた。同じ名刺を複数持ち歩くなら本人確定だ。もう片方をちらっと見ると「みずほ銀行 京都支店 支店長 広沢啓介」だの何だか偉そうな人の名刺が一枚ずつ丁寧に収められている。次にスマホを手に取り、ロックが解除できるかどうか確かめた。幸いにも指紋認証だったので、いまだ意識のない有瀬さんの人差し指を押し付けたら解除された。メモリをチェックしていく。先ほどのみずほ銀行の支店長など仰々しい名前が並んでいる。他には三井不動産 村田孝仁部長など、会社名や役職が書いてあった。明らかに家族ではない。その中で「母さん」という文字を見つけた。杉田師長の怒号や医師の声、そして機械の警告音が鳴り響く処置室を出て廊下に移動した。五十代と思しき有瀬さんの場合「お母さん」は実母か、もしくは配偶者だろう。
 タップしてみると「おかけになった電話は、電源が入っていないか、電波の届かないところにいるため、かかりません」という無情なアナウンスが流れた。祐樹が、次に目を付けたのは「夏輝」とだけ書いてある電話番号だ。

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