「気分は下剋上 知らぬふりの距離」6

「気分は下剋上 知らぬふりの距離]
This entry is part 6 of 23 in the series 知らぬふりの距離

 久米先生は、捨てられた子犬のような表情で祐樹を見ている。そんな目で見ても絶対に拾ってやらないぞ、と思いつつため息で答えた。
「『悪気はない』と岡田看護師に言ってしまいましたか?」
 最愛の人が久米先生に確認するように聞いている。
「いえ、まだです」
 その返事を聞いて、最愛の人と長岡先生は少しだけ安心したような表情になった。
「久米先生のお母様の悪意は明らかですわ。久米先生は男子校育ちでしたっけ?」
 長岡先生がなだめるような表情で「男子校育ち」と言っていた。久米先生の学歴をいつ調べたのかまでは知らないが、女性に対して免疫がないのは久米先生が中高生は男子校だったせいもある。
「そうです。しかし母がそんな……。可愛いお嫁さんが来てくれると喜んでいたのに……」
 コトの重大さを身に染みて分かっていなさそうな久米先生に長岡先生と祐樹は肩を竦めた。
「口では何とでも言えます。問題は行動ですよ。久米先生は学生時代に海水浴に行って思いっきり寝た黒歴史がありましたよね?しかも日焼け止めを塗らずに」
 最愛の人は祐樹からそのエピソードを聞いているせいでノーリアクションだったが、長岡先生は可笑しそうに手を唇に当てている。
「そして皮膚科に行って『久米君、君も医学部生なら日焼けは熱傷だと知っているだろう?なぜそんな軽率なことをしたのか?』と怒られたと記憶しています。背中がこんがりと焼けたみたいですね」
 祐樹が久米先生の数多い黒歴史を披露するとまるっとした久米先生が大きく息を吐いて、心なしか身体がしぼんだような気がした。
「それは事実ですけど、今、教授や長岡先生の前で話さなくても……」
 祐樹の指摘の意図を分かっていないらしい久米先生は丸い頬をさらに膨らませている。
「医師ならば日焼けは熱傷だと知っていますよね。知らない人などいないと思います。それと同様にフラワーアレンジメントの講師なら絶対に百合の花粉や薔薇の棘は取り去るべきものという認識があるのではないでしょうか?久米先生が、そこいらの山に咲いている百合を手折って岡田看護師に贈るなら『知らない』で通ると思うのですが」
 祐樹の言葉に長岡先生が大きく頷いている。
「香川教授、花粉を取ってくださってありがとうございます。私がしたら白衣がオレンジ色に染まるでしょうから……」
 長岡先生が感心したように最愛の人と花束を見ている。最愛の人が抱えている白百合はオレンジ色の花粉部分がすっかり取り除かれていた。英字新聞で包まれた花束は手作りとは思えない出来だ。
「いえ、この程度しかお手伝い出来ないので」
 最愛の人は百合も恥じらうような淡い笑みを浮かべている。
「香川教授、お手数をお掛けしてまことに申し訳ありません」
 久米先生は深々と頭を下げている。
「いえ、長岡先生が気付かず、脳外科の岡田看護師へと渡らなくて本当に良かったです。セロテープでもこの程度しか落ちないのですから」
 純白の白衣に薄いオレンジ色がまだ付いている。花屋さんがオレンジ色の部分を取って販売するはずだ。そうでなければ売り物にならないだろう。
「女性には、女性しか気づかない嫌がらせはたくさんありますのよ。それを悪気がないで片づけると大変なことになりますわ」
 長岡先生が正論を述べていると久米先生の頭が下がっていく。ノックの音がして「柏木です」と快活そうな声が聞こえた。
「お!?香川……教授もいらしたのですか。何が起こったのです?」
 最愛の人の理路整然とした説明を聞くうちに柏木先生の表情が曇っていく。
「それはヤバいな……。ほら、以前、久米先生のご両親に説得しに行っただろう?あの時もウチの家内が看護師だからと、かなり見下した発言を、オブラートに包みまくって言ってくれたからな。久米先生のお母様は息子に相応しいのは看護師ではなくて、良家のご令嬢だとまだ信じているらしい」
 結婚もしていないのに嫁姑戦争が勃発しているらしい。
「百合の花の嫌がらせ……。他にもあったんじゃないか?『悪気がない』と言わなかったのは本当に良かったと思う。その禁忌の言葉を言ってしまってたら、破局はかなり高い可能性で起こるな……」
 普段の柏木先生とは異なって真剣そのものといった感じだった。
「え?え?そんなっ……。それだけは回避したいです!!どうか二人で幸せになる方法を教えてください」
 久米先生は柏木先生にすがりつく勢いで詰め寄っていた。
「結婚後は絶対に別居、接触はさせない。何かあれば久米先生が防波堤になって彼女を守る覚悟が必要だ。結婚前からこんな嫌がらせをしてくるような母親だったら、結婚後はますます増長するに違いない。久米先生が『母だって悪気がない』と言ったら、岡田看護師は反論を封じ込められてしまうだろう?ちなみにその言葉もDVだからな……」

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