「気分は下剋上 知らぬふりの距離」26

「気分は下剋上 知らぬふりの距離]
This entry is part 36 of 37 in the series 知らぬふりの距離

 ――即断即決が優れた外科医の条件で、最愛の人ももちろんその条件を充分過ぎるほど満たしているにも関わらず、数秒の時が流れたのは何故だろう。
「――そうだな。家族が入って大丈夫なのですか?」
 傍らに佇んでいる三好看護師に聞いている。
「はい。胸が苦しくなったところまでしか意識がないみたいです。しかし、今はバイタルも安定していますので大丈夫だと思います」
 最愛の人は、何かを決意したように頷いた。祐樹はスマホを取り出して夏輝にLINEを送ろうとした。
「あの病室は他の患者さんはいないと記憶していますが?」
 最愛の人に確認された三好看護師は驚いたように目を見開き、頷いた。病室ごとの患者数まで把握している教授職など、いないと思っていたのだろう。
「では、有瀬さんのご子息と名乗る人がナースステーションにいらしたら面会を許可するように周知徹底をお願いします」
 一礼をした三好看護師は、キビキビとした足取りでナースステーションに戻っていった。
「夏輝さんには、『お父さまの意識が戻りました。ナースステーションにいらしてください。看護師が案内してくれます』と送りました」
 最愛の人はごくごく当たり前のように病室へと向かっている。
「看護師を連れずに教授が単独で病室に赴くのは、沽券に関わりませんか?」
 最愛の人の三歩後ろを歩きながら聞いてみた。
「今夜は藤原さんの急性心不全で医局中がバタついていた。だから休めるときに皆に休んで欲しいと思っている。祐樹は救急救命室に戻らなくても良いのか?」
 幸い柏木先生や杉田師長からの呼び出しはない。
「呼び出しがあったら即座に戻りますが、有瀬さんの主治医は私ですよね。当然お供します」
 教授職としての権威にこだわらない、最愛の人の職務熱心さは好ましい。しかし、研修医のように気軽に患者さんと接すると思われるとイメージの失墜につながる。今は誰もいないのだからせめて祐樹だけは付き添って病室に入るべきだろう。夏輝から「分かりました。ナースステーションに行きます。ありがとうございます」との返信が来たのを最愛の人に見せた後に、スマホをポケットに入れた。
「お加減はいかがですか?」
 有瀬氏の病室をノックしてドアをスライドさせた。有瀬氏はニトロの効きが良かったのか、顔色は若干元に戻っていた。
「先生……心臓発作で倒れたと先ほどの看護師さんから伺いました。助けて下さってありがとうございます。今は多少驚いているだけで、何ともないです」
 祐樹にお礼の言葉を述べる有瀬氏の視線に違和感を覚えた。夏輝は有瀬氏が香川教授の名前を知っていると言っていた。一方的に彼を知る患者さんは珍しいことではないが、「この教授に心臓を託す」というある意味神様を見るような眼差しを送ってくるものだ。しかし、彼は懐かしい人を見つめるような視線を最愛の人に向けていた。
「主治医を務めることになりました田中です。そして、こちらが心臓外科の香川教授です」
 祐樹の紹介に有瀬氏は心の底から驚いたような表情に変化した。
「あなたが、香川教授でしたか……。お写真で拝見するのとではずいぶん異なっていらしたので、大変失礼をいたしました」
 ベッドの上で居ずまいを正して頭を下げていたが、視線は終始最愛の人の顔に向けられていた。
「それは患者さんによく言われますのでお気になさらず。正式な説明は奥様がこの病院にいらした後に致します。ざっくりとした説明をお望みですか?」
 最愛の人はデータを見ただけで、実際に処置に当たった祐樹の出番かと思いきや、有瀬氏はまるで壊れた扇風機のように、縦に首を振っていた。
「分かりました。もう少ししたらご子息の夏輝さんがいらっしゃいます」
 祐樹の言葉を聞いた有瀬氏はハッとしたように初めて祐樹の顔をまじまじと見ている。
「夏輝が、ですか……。心配をかけてしまったようですね。そういえば、愚息が、教授のお名刺を持っておりましたが……?」
 有瀬氏は最愛の人に再び視線を戻している。
「一度だけお会いしたことがあります。阪急四条河原町駅で、心臓発作を起こした中年男性に駅備え付けのAEDを使って救命術を施していた青年が夏輝さんだったのです。そして、たまたま通りかかった我々が後を引き継ぎました。スマホで救急車を呼んだり、駅員さんを呼びに行ったりは一般人でもできますが、迷わずAEDを使うというのは勇気のいる行動です。そのお礼の意味を込めて名刺をお渡ししました」
 最愛の人は、ほのかな笑みを浮かべながら、不器用な役者のような棒読みで説明をしている。
「――なるほど、夏輝がそんな感心な振る舞いをしたのですか?それは親としても誇らしいです」
 夏輝のことを語る有瀬氏はすっかり「父親の顔」といった感じだった。

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