- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」1
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」2
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」3
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」4
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」5
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」6
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」7
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」8
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」9
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」10
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」11
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」12
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」13
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」14
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」15
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点 1
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点 2
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」 16
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点 3
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」 17
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点 4
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」18
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」 19
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」20
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点 5
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点 6
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」21
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」22
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点 7
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」23
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点 8
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」24
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点 9
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」25
- 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点10
最愛の人は「それがパジャマなのか?」とでも言いたげな表情だったが、長岡先生の焦り具合を見て察したらしく、納得の表情に変わった。
「教授、その前に一言お話があるのですが……出来れば人のいないところで」
祐樹は、最愛の人と夏輝と出会った場所について口裏合わせをしなければならない。ただ、最愛の人は白衣に包まれた若干華奢な肩をひくりと震わせている。救急救命室から医局に来た後の最愛の人は何だか様子がおかしい。
「長岡先生、藤原さんの件はひとまず落ち着いたので、いったん自宅に帰られたらいかがですか?その前に」
最愛の人はポケットからキーホルダーを取り出して、白い指先で二つのカギを外している。
「こちらが執務室のカギで、もう一つはロッカーです。その中にあるものは今すぐ必要なものではないので、長岡先生が好きなものを選んで着て帰ってください。お疲れ様でした」
長岡先生に二つのカギを手渡している。
「有難いですけれども……、執務室のカギはどうやってお返しすればいいのでしょう?」
焦ったあまり汗だくになっている長岡先生を慰めるような笑みを浮かべた最愛の人は、こともなげな表情へと変わった。
「執務室は朝出勤してきた秘書がカギを開けるのが日課です。ですから、明日のどの段階でも良いので私に返してくださればと思います」
パジャマで帰宅という長岡先生にとって最悪の事態はまぬがれたようだった。
「ありがとうございます。ではお先に失礼いたします」
白衣の前をそっと手で押さえ、シルクのパジャマを隠すように足早にテトテトという謎の足音を立てながらその場を後にした。
「――さてと、ゆ……田中先生、自販機の前で話そうか?」
各階に設置されている自販機だが、この時間に来る人はさほどおらず、死角になっていることは祐樹も知っていた。
「分かりました」
案の定自販機の前は非常灯と自販機が発する光だけで薄暗かった。こういう点も「夜の病院は怖い」と患者さんに言われる一因なのかもしれないが、祐樹は慣れているので何とも思わない。
「お疲れ様です。ベッドに入っていらしたのですか?」
最愛の人は黒木准教授という「縁の下の力持ち」の存在がいい意味での防波堤になっていて、夜に病院に駆けつけるのは初めてのはずだ。その「お疲れ様」の意味も込めて、午後の紅茶ミルクティーを選んで手渡した。
「祐樹、ありがとう。頂きます」
照明の関係か、最愛の人の怜悧で端整な顔が夕顔の花のように見えた。
「いや、ベッドにはまだ入っていなかった。ええと――少し――調べものがあったのでパソコンを使っていたら黒木准教授から連絡があって、慌てて駆けつけた。藤原さんに万が一のことがあったらと冷や汗ものだったのだけれども、ことなきを得て良かったと思っている。そして、祐樹が一件の手術の執刀医として名乗り出てくれたことにも感謝している。そちらは任せた」
……午後の紅茶ミルクティーを美味しそうに飲みながらも、何だか奥歯にものが挟まったような話し方だった。普段は明晰な言葉で的確に話すというのに、この違和感の正体は一体何なのだろう?
「ナツキさん、あれ本名だったみたいです。季節の『夏』に輝くという字を書いて『夏輝』が本名です。有瀬誠一郎さんのデータは先ほどご覧になった通りです。そして――」
念のために辺りを窺った。
「私達と夏輝さんが知り合いだったという件ですが、阪急の四条河原町駅で通行人の中年男性が倒れ、それをたまたま夏輝さんがAEDを使っていたところに私達が通りかかったと。そしてその勇気のある行動に感心した貴方が名刺を渡し、その後その男性を診たという流れにしておきました。夏輝さんにも口裏を合わせて貰っているので、誠一郎氏とどこかの地方から急いで帰ってくるはずのお母さまにもそのように言ってくださいね」
祐樹の説明を聞き終えると、最愛の人はどこか感心したように薄紅色の唇の端をわずかに上げた。
「咄嗟にそれほど見事な嘘を紡げるとは、さすがは祐樹だな……」
静謐な微笑の花を咲かせた。
「覚えた。要は『グレイス』で知り合ったということを内緒にしていればいいのだな?」
最愛の人は笑みの花を咲かせたままで、とても美味しそうに午後の紅茶のミルクティーを飲み干した。
「有瀬さんの主治医は、慣習通りに祐樹を任命する。手術は急がなくてもいいだろう。当分は様子見といったところだな」
祐樹はナースシューズの音を察知して、一歩だけ最愛の人から離れた。
「教授、田中先生、救急救命から受け入れた308号室の患者さんの意識が戻りました」
三好看護師がテキパキと告げた。
「ゆ……田中先生は救急救命室に戻らなくていいのか?」
今のところ祐樹のスマホは何の通知も来ていない。サイレンが聞こえないのは新館にいるからだが、人手が足りなくなったら杉田師長の命令か、柏木先生の独断のどちらかで祐樹に連絡がくるはずだ。あ!と思った。
「夏輝さんが待機しています。呼びましょうか?」
―――――
もしお時間許せば、下のバナーを二つ、ぽちっとしていただけたら嬉しいです。
そのひと手間が、思っている以上に大きな力になります。

にほんブログ村

小説(BL)ランキング

コメント