「気分は下剋上 知らぬふりの距離」23

「気分は下剋上 知らぬふりの距離]
This entry is part 30 of 35 in the series 知らぬふりの距離

「そうだ。藤原さんは予期せぬ急性心不全で医局内がバタついてしまった。そのため救急救命室からの受け入れ要請に応えられなくて本当に申し訳ないと杉田師長に謝っておいて欲しい。さてと、そちらからの患者さんは?」
 最愛の人は祐樹のデスクへと歩みを進めている。柏木先生経由で救急救命室から有瀬さんのデータも共有されている
「ニトロ投与し、バイタルは安定しています。ただ、冠動脈に狭窄がみられるため……」
 パソコンに表示されたMRIの画像を見ていた最愛の人が驚いたような表情を浮かべている。よく見慣れた画像なのに、なぜそれほど驚くのかと内心怪訝に思った。
「あくまでも教授判断ですが、私見ではカテーテルよりもバイパス術が最適のような気がします。あのとき『例の場所』で出会った夏輝さん、覚えていますか?」
 夏輝には四条河原町の駅でAEDを使っていたということにして「自然な」出会いを打ち合わせ済みだが、最愛の人にも後で話を合わせてくれるように頼まなければならない。今のところ有瀬誠一郎氏は意識が戻っていない。また、意識が戻っても、なにぶん深夜なので大した会話は不可能だ。
「――覚えているけれども」
 怜悧な眼差しが何だか宙を泳いでいるかのようだった。最愛の人がこんなふうに目を泳がせるのは祐樹が覚えている限り初めてだ。
「そうですか。そのお父さまが今回の患者さんです。救急救命室からご家族に連絡しましたが、有瀬誠一郎氏の奥さんはどこか地方に出張中だそうで連絡がつかず、ご子息の夏輝さんだけが駆けつけています」
 最愛の人は鳩が豆鉄砲をくらったような表情だ。彼の場合、全くその心配はしていないが、祐樹が「一夜の恋人」と決めて付き合っていた過去の人間だったら真っ先に浮気を疑うような怪しさだ。もちろん、夏輝とは最愛の人と行ったゲイバー「グレイス」で一度きりしか会っていない。
 そののち、祐樹はLINEで英語の学習に付き合っていたが、最愛の人はそういう接点すらない。名刺を渡したからといって、夏輝が彼に連絡を取ってはいないはずだ。もし、連絡したのなら、先ほどの会話で夏輝はそのことを祐樹に伝えたに違いない。「グレイス」で会ったときには、少しだけ整った顔と華奢な身体をいいことに、金魚のように振る舞う青年かと思っていたが、今の夏輝は素直で率直な性格の青年だと分かった。最愛の人と祐樹の真の関係も知っているので、祐樹には正直に打ち明けるという確信があった。
「私もこの症例だとバイパス術が妥当だと思います」
 黒木准教授の温厚かつ朴訥な声が深夜の医局に響いた。
「そうですね。バイパス術という方向で考えるのがいいと思います。藤原さんの容態はいかがでしたか?」
 三好看護師が医局に入ってきたのを見た最愛の人が、何だか救われたような表情で聞いている。
「バイタルに異常はありませんでした」
 黒木准教授が長岡先生に向かって満面の笑みを浮かべている。白衣の下のパジャマらしき服はスルーしている。もしかしたら、病院のファッションリーダーという異名がめくらましになっていて、変わったデザインのシルクのブラウスとでも解釈されているのかもしれない。
「いえ、ナースコールに即座に反応して様子を見にいった三好看護師の功績ですわ」
 あってはならないことだが、ナースコールを無視したり、あるいは他のことに気を取られていたりして反応が遅れることも他科ではよくあることらしい。そういう不手際は教授が隠蔽するのでなかなか表には出てこないが、ウワサはよく聞く。
「有瀬さんの奥さんは病院に駆けつけられないほどの遠方に行っているのだろうか?」
 最愛の人は細く長い指をあごに当てて考え込んでいる様子だった。
「そうみたいです。四国だか九州だかに行っている様子でして、一人息子の夏輝さんだけが病院にいます。お会いになりますか?」
 最愛の人は、ゲイバー「グレイス」を営業の場所として使っていない。もっとも、心臓外科医という職業に営業という言葉もそぐわないのも事実だ。営業で使っている人は名刺を会った人ごとに撒いているのも見てきた。しかし、祐樹の知る限り、最愛の人が名刺を渡したのは夏輝だけだ。だから、恋愛感情では絶対にないにしろ、特別な感情を抱いたのは確かだろう。だとすれば、思わぬ再会を喜ぶのが最愛の人の正しい反応のような気がするが、どうにも歯切れが悪いと感じた。
「――この容態だと、急変はまずありえないな。だったら、か……」
 最愛の人が「途方にくれた王子様」という題の絵のような表情を浮かべている。「か」とは一体なんのことだろうと一瞬だけ思った。
「失礼、ご家族が勢揃いしたタイミングで病状説明をしたほうが合理的なような気がする。息子さんだけに伝えると伝言ゲームのようになってしまうだろう?」
 最愛の人の言うことももっともだ。
「教授、藤原さんの件を受けた手術のリスケが出来ました」
 遠藤先生が最愛の人にプリントアウトした紙を渡している。その表情が何だかほっとしたように見えるのは祐樹の気のせいだろうか?

―――――

もしお時間許せば、下のバナーを二つ、ぽちっとしていただけたら嬉しいです。
そのひと手間が、思っている以上に大きな力になります。

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村

小説(BL)ランキング
小説(BL)ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村
Series Navigation<< 「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点 7「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点 8 >>

コメント

タイトルとURLをコピーしました