「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点 4

「気分は下剋上 知らぬふりの距離]
This entry is part 21 of 23 in the series 知らぬふりの距離

この作品は、夏輝の父・有瀬誠一郎が搬送される前の、香川教授視点です。
毎日更新は無理ですが、時間のある時に不定期更新します。
教授がナツキのことをどう考え、祐樹も知らないうちにどう行動したのか――
気になる読者様に読んでいただければ嬉しいです。

 そのすぐ後ろから、福建訛りの強い中国語が耳に入った。語彙や抑揚の特徴にすぐ気づいたのは、アメリカ時代に中国富裕層の手術を数多く担当していた経験ゆえだ。北京語なら医学用語すら不自由なく話せるが、福建方言となると話は別だ。彼らの身なりは質素だが、動きや目つきに妙な熱気がある。雑誌で見た「転売ヤー」という語が、ふと頭をよぎった。
 その雑誌の記事によれば、ロレックスの人気モデルは定価の二倍から三倍の価格で取引されるという。福建訛りを話している人達が直接リサイクルショップに持ち込むのか、それとも元締め的な人がいるのかは分からないが、それなりの儲けになるのだろう。仮に百万として三倍の値段だと三百万円だ。
 自営業風の人達のように時計を欲しがる人もいれば、単なる商売として買っていく人もいるのだなと思っていると、エルメスに行く時間になった。

「ご多忙中にも関わらずお時間を割いていただきありがとうございます」
 約束の時間ぴったりに教授執務室のドアがノックされ、色々と助言もしてくれるプライベートバンクの担当者の黒く滑らかな革のビジネスバッグと、よく磨かれた革靴がまず目に入った。ドラマに登場するバンカー以上にスーツを端正に着こなし、髪も清潔感を意識して整えている。この人を見るたびに、こうした職務への誠実さが、身だしなみにも表れるのだと、自分も気をつけようと思った。
「いえいえ、こちらこそお呼びたてしてすみません。さほど忙しくないですよ、私などは。どうぞそちらにお座りください」
 定時であがる秘書に用意してもらったアイスコーヒーが載った応接セットを手で示した。
「何をおっしゃいますやら。教授は命を扱っていらっしゃいますよね。私は命の次に大事なクライアントの資産を預かっています。優先順位は教授のほうが上です」
 立ち上がって向かいに座った。命のほうが重いというのは確かにその通りだが、自分は単に向いていただけで外科医を選んだ。この人のようにどんな顧客にも丁寧に接し、その信頼を得るというスキルは自分にはない。太陽のようなオーラを持つ祐樹なら、こういう仕事も出来そうだけれども、自分は人前に出ずデータを分析するとか、パソコンで資料を作ることしかできないだろう。
「どうぞ、おかけください」
 背筋を伸ばして立ったままの担当者に声をかけた。
「失礼します。美味しそうなアイスコーヒーですね。ほう、氷もコーヒーで作ってあるのですか?こういうのはホテルでしか見たことはありません。流石は教授の秘書ですね」
 実はコーヒーの氷の作り方は自分が秘書に教えたのだが黙っていよう。
「普通の氷だと、時間が経つと水になってしまい、せっかくのコーヒーの味が薄くなってしまいますから。ご存知のように秘書は定時であがるのが当病院のローカルルールです。なので、味が落ちないように工夫しようと思……いえ、お願いしたのです」
 うっかり自分が「思って作ってみた」と言いかけて慌てて言い換えた。
「とても美味しいです。まずは、教授の資産運用状況について、三分ほどで説明いたします。当行は、年利5%から7%で長期運用するスタイルです。香川教授のポートフォリオは現在5.4%ですのでなかなかのパフォーマンスだと自負しております。ご存知のようにアメリカが関税を上げるという国策を打ち出したこと、そして円安も相俟ってなかなか相場が安定していない現状ですから」
 本当に美味しそうにアイスコーヒーを飲んだ彼はテキパキと話を進めている。
「アメリカ大統領が関税のことに言及したときは日経平均株価も乱高下しましたから、それは仕方のないことだと思います。それはそうと、ウチの医局員から資産運用の相談を受けることが多くなりまして。私に分かる範囲で答えていますが、もしかしたらお知恵を拝借することがあるかもしれません」
 向かいに座った彼は人懐っこい笑みを浮かべている。祐樹もそういう笑みを医局員・看護師、そして患者さんに向けているなと思った。――祐樹が自分に向ける笑みは、どこか熱っぽくて暖かい。
「私でお役に立つことがあれば、何なりとお申し付けください。尤も、当行の規則で個別具体的なご相談は顧客様にしか提供できないことになっておりますが、多少の融通は……」
 思わせぶりに言葉を切ってアイスコーヒーを美味しそうに飲んでいる。祐樹は自分の資産総額を知ろうとしない。「貴方のお金に惹かれたのではなくて、貴方自身に強く惹かれただけです。貴方が私と同じ給料でも、いやもっと低くてもそれは私の愛情とはまったく関係のないことですから」と言っていた。祐樹ではなく、他の医局員が相談してくれるようになった。しかし、大学病院の給料ではこのプライベートバンクの顧客になることは出来ない。祐樹や自分と異なり、医局員の中には実家が病院を経営していたり、広い土地を持つ資産家の息子であったりして、相続で十億単位の資産が入ってくる予定の医師も多い。そのための布石なのかもしれない。
「その節はよろしくお願いします」
 軽く頭を下げた。
「承りました。さて、教授のポートフォリオですが、少し見直しませんか?」
 予想外のことを言われて少し驚いた。

―――――

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