「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点23

「気分は下剋上 知らぬふりの距離]
This entry is part 62 of 64 in the series 知らぬふりの距離

「ノロって感染力が高いですよね?今搬送されたということは、父は大丈夫ですよね?」
 夏輝さんがぴくぴくと震えるリスのように見上げている。
「念のため確認します。祐樹がお父さまをこちらに運んできたときには、他の患者さんはいましたか?家族控室で待機されていたと思うのですが?」
 時系列的に考えたら大丈夫だとは思うが、状況を確認しないと確かなことは言えない。
「家族控室には僕一人になっていました。それまでは多重事故っていうんですか?交通事故に遭った人たちが何人か運ばれてきていたみたいです」
 夏輝さんのその言葉に安心した。そうだろうなとは思っていたが、処置室近くにいた夏輝さんの言葉で、それが確信に変わった。
「それでしたら大丈夫です。救急救命室に患者さんがいる場合は、祐樹もこちらに来られないのが救急救命室の慣習です。食中毒の患者さんが搬送されたのはついさっきのことだと思います。つまり、お父さまがこちらに移された後なので、感染の心配はありませんよ」
 最悪の事態を想定し、夏輝さんの父の有瀬誠一郎氏と同じ時間にノロウイルスに感染した患者さんがいた場合、有瀬氏も隔離しなければならないなと思っていたが、その心配は杞憂だったようだ。
「ありがとうございました。香川教授は色々考えないとダメな立場だと思います。僕のことは気にせずにお仕事頑張ってください。お医者さんって、憧れの職業とか言われていますけどものすごくハードなんですね。今日は本当にありがとうございました」
 夏輝さんが深々と頭を下げてくれた。会釈をし、医局に戻って黒木准教授の個室の短縮番号を押した。
「香川です。救急救命室に集団食中毒の患者さんが搬送されたようです」
 単刀直入に言うと、黒木准教授は「直ぐに医局に参ります」とだけ言って電話が切れた。
「香川教授、集団食中毒ですか?まさかノロ……」
 准教授との電話を聞いていた遠藤先生が青ざめた表情で聞いてきた。
「まだ分かりません。そこまでの情報は入っていません。ただ、田中先生がこちらに来たときには、まだ搬送されていなかった模様です。今のところ、ウチの病棟は無事ですが……。あ!一応、一人分の専用防護具を持ち帰れるようにしてくださいませんか?」
 黒木准教授が来ると病棟全体のことを考えなければならない。その前にマンションに持って帰らなければならないものがある。ノロウイルスに祐樹が感染した場合、自分は罹患しないように気をつけて祐樹の看病をしなければならない。
「ああ、田中先生用ですか?柏木先生は奥さんが看護師ですから、その辺りのことは詳しいですからね。一人暮らしだと、大変ですよね」
 遠藤先生がキビキビと医局を出て行ったのを見て少し安心した。この医局では、祐樹と自分は上司と部下の関係ながらも仲がいいということは周知の事実だ。しかし、一緒に暮らしていることまで察してしまわれたのかと思ったものの、その心配はないようだ。
「教授、ノロでしょうか……?」
 黒木准教授が、やや心配そうな表情で走り寄ってきた。
「今の時点では分からないですが、その想定をしていたほうが良さそうです。田中先生がつい先ほどの電話で救急救命室に呼び出されました。今日は……」
 黒木准教授は温和で朴訥な顔に少しだけ笑みを浮かべている。
「それでしたら、柏木先生だけですね。ウチの医局から派遣している医師は。ノロかどうかが確定するまで、柏木先生は救急救命室で待機ということで。それはそうと、久米先生が今夜あちらに行かずに帰宅したのは不幸中の幸いでしたね。久米先生までが隔離対象者だったら、手術の人員が足りなくなったところでしたよ」
 そういえば、久米先生は祐樹が名付けた脳外科のアクアマリン姫こと岡田看護師とデートだったはずだ。久米先生のお母さまの悪意の百合の花粉付きの花束からオレンジ色の小さな粉末を取り除いていたのが随分前のことのような気がする。
「そうですね。外科医として有望な医師ばかり派遣していますから、手術スタッフと重なってしまう点が痛いですが、久米先生は帰宅したので感染リスクはないでしょう。とりあえずは、専従対応の明確化ですね。救急救命室対応は、柏木先生だけということで。そして田中先生は連絡係ですね。ただし、ガウン・手袋・マスク交換は厳守させてください」
 黒木准教授は真剣そうな表情だった。深夜の医局には他に医師はいないので、手術の腕前というデリケートな話題も口に出せる。
「石鹸が必要ですね。病棟に流水手洗い設備を確保します」
 ノロウイルスはアルコールが効きにくいのが特徴だ。
「お願いします。それと、ゾーニングは厳守ですね。田中先生にはくれぐれもこの病棟にノロウイルスを持ち込まないようにして貰わないとなりません」
 黒木准教授が頼もしげに頷いた。
「ちなみに、さきほど救急救命室から受け入れた患者さん、有瀬さんでしたか?そのかたが既に感染しているという可能性はありませんか?」
 黒木准教授が夏輝さんとは異なった意味で心配するのももっともだった。
「たまたまなのですが、ご子息と面識がありまして……。病院に駆けつけて、先ほどまで私と立ち話をしていました。彼が言うには、お父さまと一緒に処置を受けていたのは交通事故の患者さんだけだったそうです。それに、田中先生がこちらを心配していったん戻ってきましたよね?救急救命室では、いわゆる凪の時間と呼ばれる患者さんが全くいない状態でないとそういうことが出来ない慣習があります」
 黒木准教授は驚いたような表情だった。

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