「気分は下剋上 知らぬふりの距離」教授視点19

「気分は下剋上 知らぬふりの距離]
This entry is part 53 of 64 in the series 知らぬふりの距離

この部分は『知らぬふりの距離』祐樹視点・第26話あたりの場面にあたります。
それぞれが何を思っていたのか、併せて読んでいただければ幸いです。

 祐樹がそう言ってくれたが、後で口止めできる祐樹とは異なって看護師たちがいるとウワサはあっという間に医局から病院中に広まることは知っている。祐樹と二人きりで病院の夜の廊下を歩むのが新鮮だし楽しい。それに人手が要るような難しい容態でもない。むしろ意識が戻ったということの確認に行くだけだから本来は一人でもいいくらいだ。
 祐樹は何かと面子に拘るのはひとえに「香川外科の長」としての顔を守りたいのだとは思う。しかし、自分は俗にいわれる「大名行列」すら苦手で、一人、または祐樹と二人で病室を巡るほうが心も落ち着く。
「今は藤原さんの急性心不全で医局中がバタついていた。だから、休めるときに皆に休んで欲しいと思っている」
 そちらも本音だったので、いかに敏い祐樹でも些細な嘘に気付かないだろう。
「祐樹は救急救命室に戻らなくて良いのか?」
 もっと夜の病院で一緒に居たいと思いつつも、今の祐樹は心臓外科の医局員ではなくて、救急救命医だ。だから、有瀬氏への手が離れた今はここに留まる理由はない。残念だが仕事なので仕方のないことだろう。
「呼び出しがあったら即座に戻りますが、有瀬さんの主治医は私ですよね。当然お供します」
 祐樹がきっぱりと言い切ってくれた。その職業的な熱心さに満ちた凛々しい顔に見惚れてしまう。祐樹は宿直があるので夜の心臓外科の病棟を歩くことも慣れているだろうが、黒木准教授という頼もしい補佐役のいる自分は定時頃に上がるので、こんなに静まった病棟を歩く、しかも祐樹と二人きりというのがこんなにドキドキするとは思ってもみなかった。祐樹がポケットからスマートフォンを取り出した。もう救急救命室に戻ってしまうのかとがっかりしかけたら、祐樹の男らしい手が画面を見せてくれた。
 「分かりました。ナースステーションに行きます。ありがとうございます」という夏輝さんの返信だった。
「お加減はいかがですか?」
 祐樹の声は声量を若干落としてはいるが、生気に満ちた滑舌のいい声は健在で、自分まで元気になるような気がした。ドアをスライドして入ったら有瀬氏の視線は何だか懐かしい人を見つめるような感じで自分を見ていた。以前会ったことがあるのだろうかと悩んでしまった。
「主治医を務めることになりました田中です。そして、こちらが心臓外科の香川教授です」
 祐樹がそう告げると有瀬氏はそこまで驚くことかと思うほどの表情に変わった。心臓は大丈夫なのかと不安がよぎったがベッドの横のモニターの警告音が鳴らないので大丈夫なのだろう。
「あなたが、香川教授でしたか……。お写真で拝見するのとではずいぶん異なっていらしたので、大変失礼をいたしました」
 ……主治医である祐樹を差し置いて、自分に頭を下げられたのは若干面白くない。冠動脈の狭窄を見る限り、執刀医は自分になるだろうが、細々としたことを相談するのは祐樹なので、まずはそちらに挨拶すべきなのではないだろうか。また、祐樹には一瞥を与えただけで何故かこちらに視線を固定しているのも不自然だし不躾だ。
「それは患者さんによく言われますのでお気になさらず。正式な説明は奥様がこの病院にいらした後に致します。ざっくりとした説明をお望みですか?」
 インフォームドコンセントは心臓外科のモットーなので、有瀬氏が希望すれば、主治医の祐樹から詳しい説明がなされるはずだ。自分は水を向けただけにすぎない。有瀬氏は嫌そうな表情を浮かべている。容態を詳しく聞きたがる患者さんもいれば、聞きたくないと頑なに拒む人もいる。有瀬氏は後者なのだろう。インフォームドコンセントが一般的でなかった時代にはガン患者を胃潰瘍だと言い張ったこともあったらしい。その患者さんは「ガンで死ぬよりも胃潰瘍のほうがましだった」と言い残して亡くなったと聞いている。病は気からというが、容態について聞きたくない人も一定数存在する。
「分かりました。もう少ししたらご子息の夏輝さんがいらっしゃいます」
 祐樹の声が病室を明るく照らすかのように響いた。その明るい声に引き寄せられたのか、有瀬氏の視線が祐樹へと移った。
「夏輝が、ですか。心配をかけてしまったようですね。そういえば、愚息が、教授のお名刺を持っておりましたが……?」
 言外にどういう知り合いなのだろうという気持ちが透けてみえるような気がした。まじまじと顔を見られているのは、もしかして夏輝さんのゲイバー通いを知っているのかもしれないと内心危惧した。夏輝さんは「父母のいない家にいてもつまらない」という理由で夜遊びをしていたと記憶している。しかし、父親の直感で何か気付いているのかもしれない。
 精一杯の演技で平静を装った。祐樹の考えた嘘は完璧だと思ったが、説明する自分が失敗しては元も子もない。ひそかに深呼吸をし、口を開いた。

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