「気分は下剋上 巻き込まれ騒動」95

「気分は下剋上 巻き込まれ騒動」
This entry is part 21 of 25 in the series 気分は下剋上 巻き込まれ騒動

「愛国運動は言論の自由の範囲内ですから、結構だと思うのです。しかし、ネットの中では偉そうに振る舞いながら、税金は消費税しか払わず、勤労の義務も果たさない人間を腹立たしく思っています。清川大臣もそういう勤労の義務を果たさない五十代の引きこもり男性に極めて否定的で、ついつい本音を言ってしまったのでしょう。日本の国の未来について案じている、良心的な方ですから。救急救命室で藤宮からかかってきた電話で知ったのですが、幸いなことに、記者の前ではなく、首相をはじめとする大臣たちの私的な会食の場で発言したらしいです」
 最愛の人も祐樹も森技官のコメディアンめいた口調の演説を黙って聞いていた。先ほどのスタッフが用意してくれたインスタントコーヒーにしては美味な理由はきっとあのスタッフが「香川教授」とVIPのためにインスタントの粉にお湯を注いで百回以上スプーンでかき混ぜたに違いない。そうすると味が格段に変わる裏ワザだ。
 先ほど呉先生はネトゲ廃人の精神的な疾患を親身な感じで心配していたが、今はコーヒーも目に入っていない感じで祐樹の手技をなぞるように華奢な指を動かしている。祐樹も救急救命室で、精神状態が不安定で暴れた末に外傷を負った患者を処置した経験がある。そういう場合、沈静目的の注射を打つのは、実はそれほど難しくない。精神科時代の呉先生は祐樹と出会う前だが、多分同じような注射を打ってきたのだろう。呉先生はリドカインの注射の難易度の高さに挑もうと必死な感じで、森技官の言葉まで追うリソースがないのだろう。
 それにしても、仕事休みの日にも、そして怪我をしても局部麻酔まで打って東京に行く森技官からみればそう思うのは、むしろ当然のことに思えた。
 彼なら、官僚のトップである事務次官を定年退職したあとも、国会議員として死ぬまで国のために働き続けるだろうと祐樹は思った。
「ネットで大言壮語していても、現実には社会のお荷物だという点は清川大臣と同意見です。ここだけの話。『この国が心配だ』とか『グダグダと文句を言ってくる隣国の人間を追い出せ』などネットの中では勇ましいですが、それよりも先にすることがあるだろうと思っています。どうせ働かないなら、ああいう連中は竹島にでも送って、国防でもしてもらえばいい。引きこもりだろうが、国境の岩礁なら誰にも文句は言われない――これは極論ですし、実行不可能なことだとは分かっています。しかし、人材不足が深刻な介護職に従事するか、そこまでの社会復帰が困難であれば、まずは良心的なボランティア団体に参加し、徐々に社会の規範に慣れていく方が建設的です。少なくとも、ネット上で『日本は素晴らしい国だ。非国民は出て行け』などと居丈高に書き連ねるより、よほど国益に資するでしょう」
 祐樹としては、そこまで深く考えたことがなかった。心臓外科医としては手術の成功だけを見据え、救急救命室ではただひたすらに命を救うことに心血を注いできた。それが自分の使命であり、他のことは後回しだった。一方最愛の人は、相手の意見にまず耳を傾け、最後まで話を聞いたうえで、必要があれば、理性的に反論する。そういう人だった。だからこそ二人は森技官の「ご高説」をコーヒーを片手に拝聴していた。一方で呉先生は、恋人の演説などどこ吹く風といった様子で、華奢な指先を、祐樹の手技をなぞるように動かし、その再現度は目覚ましく上達している。
「そして、年金受給者の親が亡くなっても、年金収入が断絶することを恐れ死亡届の提出を怠って自宅に遺体を放置し不正受給をしている引きこもり男性の顕在化は氷山の一角だと思っています。日本は世界有数の長寿国ですが、『実質的な死者』の数が想定を上回っているのではないかと危惧しています。まとめると、親の年金を目的に、命の尊厳を踏みにじる。そして社会保障という仕組みまでも、自己都合で捻じ曲げるような行為を、見過ごすわけにはいきません。その思いは清川大臣も同様でいらっしゃって、だからこそ、どんな手を使ってでも『八十歳以上はピンピンコロリ、その息子のひきこもりも一緒に逝け』という失言をマスコミに漏らさないようにします」
 森技官の鋭い眼光がさらに迫力を増している。彼のことだから首相をはじめとする閣僚やそういう失言を追求する野党の議員まで情報の蜘蛛の巣を張っているに違いない。そのちまちま貯めた、リークされたらまずい情報と引き換えに今回の失言を「なかったこと」にするに違いない。
「しかし、死亡届が提出されないまま亡くなっているケースの洗い出しは、極めて困難なのではないでしょうか?」
 最愛の人の理知的な声が、室内にやわらかく響いた。祐樹も、彼の現実的な意見に賛同するように目配せをする。一瞬だけ交差した視線には、理性とそれを包むような深い愛情が宿っているような気がした。そして彼の唇が一瞬だけ小さな笑みの花を綻ばせていた。

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