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- 「気分は下剋上 巻き込まれ騒動」最終話
「終わりました」
祐樹にとってこの程度のことは、朝飯前だ。呉先生は森技官の顔を心配そうに一瞥し、頭の中で祐樹の動作を反復しているような真剣な表情を浮かべている。
「田中先生、本当にありがとうございます。杉田師長ですよね?このたびはお手数をおかけして申し訳ありません。香川教授も、ご尽力感謝いたします」
森技官は三人に深々と頭を下げ、呉先生に目配せを送った。しかし、彼は祐樹の動作を脳内で反復しているのか無反応だったのが若干気の毒だった。森技官のスマホの着信音が鳴った。
「……失礼。これは出なければならないのですが、今通話しても大丈夫でしょうか?」
スマホの画面を一瞥し、杉田師長に聞いている。
「良いわよ。それにしても、森さんってなんで私の名前知ってるの?名乗らなかったし、ネームプレートはオフということで外してるのに?」
傍にいた最愛の人に耳打ちしているつもりなのだろうが、彼女の甲高い声はよく響いた。
「森技官は、精密な情報網を持っていまして、各大学病院の主要人物のほぼすべてを把握しているらしいです。杉田師長も含まれていたのでしょう」
最愛の人の声は小さかったけれども、祐樹の耳が聞き漏らすはずがない。
「そうか。それは仕方ないな。ヘリポートで待機する。藤宮、マスコミには漏れていないか?」
杉田師長はまんざらでもない表情で森技官を見ている。とはいえ、女性が異性を見る特別な眼差しという感じではなく、病院の主要人物のリストに入っていたことが嬉しかったのだろう。並みの看護師ならば、警戒心を抱くだろうが、救急救命室の名物ナースは肝が据わっている。
「そうか。それなら良かった。引き続きマスコミの動向をチェックしてくれ。そして清川大臣の失言を――ああそうだ。それでいい。それと、京都大学病院の精神科の呉先生を清川大臣のメンタルケアと、善後策のオブザーバーとして参加してもらうことにした。一緒にヘリコプターで向かう」
麻酔が効いてきたのか、森技官の表情は明らかに生き生きとしていた。
「え?清川って厚労大臣だわよね?」
杉田師長がこんなに驚いた様子を祐樹は初めて見た。最愛の人が頷くと、納得した感じで、きびすを返した。普通の師長なら「何があったの?」などと好奇心に満ちた追及をするだろうが、杉田師長は、患者の命を救うことしか考えない。救急救命の天使とも鬼とも呼ばれているゆえんだ。
「すみません、強風のせいで、飛行ルートを変更せざるを得なくなったらしく、到着が遅れています。私達はヘリポートで待機しますが、お二人はどうされますか?」
通話を切った森技官はテキパキとした口調で確認をしている。祐樹は最愛の人の怜悧で端整な顔を見た。責任感の強い人なので、ヘリが飛び立つまで付き添うだろうなと思った。
「念のためにヘリポートまで同行します」
案の定の返事に、内心ため息をついた。とはいえ、乗りかかった船だし、森技官の仕事にかける覚悟の深さを垣間見た今は、呉先生に局部麻酔のコツをレクチャーしておきたいと思った。
「では、すぐに乗れるように、ヘリポートに向かいましょうか」
森技官が立ち上がると杉田師長がいつものせっかちな歩き方で近寄ってきた。
「詳しいことは分からないけど、長丁場になりそうよね?念のためにこのアンプルを持っていってね。呉先生、注射は気合いが最も大切。覚悟を決めて一気に打つ。分かった?」
呉先生の綺麗な手に、消毒用アルコールで幾分荒れた杉田師長の手がそっと重ねられた。彼女の手のひらには、リドカインのアンプルと、それに差し込まれたシリンジがあり、それを呉先生に渡していた。
「ありがとうございます。治療代――田中先生の人件費はボランティア扱いとして除外するとしても、杉田師長の分、そしてリドカインなどの薬剤代金はお支払いします」
森技官は真摯な声で言い切った。(一番働いたのは誰だ?)祐樹はツッコミたかったが、ここは大人の対応を選ぶ。
「え?いいのよ。別の患者さんに使ったことにするから」
杉田師長が珍しく笑顔を浮かべた。彼女は、職務熱心で有能な人間に対して好感を抱きやすいタイプだ。森技官も、どうやらそのカテゴリに入ったらしい。
「ご厚意はありがたいですが、それでは不正会計です。私は公務員ですから、後日、正式に請求してください。名刺をお渡ししておきますね」
そこまで律儀なのかと舌を巻いた。森技官は公務員なので保険証の提示は不要で、後日厚労省に請求書が病院から送られる。
「分かったわ。ではお大事に」
救急救命室を出て、新館のエレベーターまで歩いた。
「祐樹、例の地震の時よりも手技の精度が上がっていたな。――惚れ直した」
祐樹以外は聞こえない、小さな声で言われた言葉、それが何よりの報酬だった。

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