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- 「気分は下剋上 巻き込まれ騒動」最終話
「ちっ!あの永遠の子供の、ワガママ爺さん!ま、いいわ。どうせ暇だし。どこに打つの?もちろん、田中先生が担当するのよね?」
舌打ちのあとで、テキパキと聞いてきた。最愛の人はツバメのように身をひるがえして車に戻った。森技官と呉先生に朗報を伝えるためだろう。
「もちろんです。今が凪の時間であっても、勤務中の先生の手をわずらわせることは出来ませんので。ただ、見学者の同行も許可してください。それはそうとヘリコプターの音は聞こえませんでしたか?」
予定では二十分で着くとのことだったが、既に二十五分経っている。
「え?いいえ、聞こえなかったけど?何なの、ヘリを使うようなVIPなの?」
唖然とした感じで聞いてくる。滅多に驚かない杉田師長のこういう顔を見るのは初めてかもしれない。
「あらら、呉先生じゃない?久しぶりね。例の地震の時以来だわね」
杉田師長が呉先生の顔を覚えていてくれて助かった。そういえば「例の地震」の時のメンタルケアを呉先生が担当していたなと思い出した。
「お久しぶりです。お手数をお掛けしてすみません。あのう……室内の様子は……」
冷たい風に怯えるスミレのような呉先生の表情に、杉田師長は思わず吹き出した。
「今は患者もいないし、床も綺麗なものよ。相変わらず血が怖いのね。ま、先生ほど精神科に向いていたら、それはどうでもいいわ。こっちがVIPの患者さんね。さて、体重は?」
森技官が神妙そうな、そして心の底から安堵した顔つきで深々とお辞儀をしている。杉田師長の甲高い声で救急救命室の中の様子が想定よりもはるかに良いことに気付いたのだろう。杉田師長も伊達に救急救命室の天使と呼ばれているわけではない。体重を聞いたのはリドカインの最適量を求めるからだろう。本来ならば祐樹の役目だったが、杉田師長を納得させなければ最悪追い返されるという危惧に気を取られていた。
「初めましてですね。私は厚労省の森と申します。今回は急なお願いを聞いていただき誠に有難うございます。体重は80キロです」
杉田師長は予想通りといった感じで頷いていた。
「で、ヘリはどこまで飛ばすの?」
最愛の人も言及した薬効の持続時間を気にしたのだろう。
「東京で、とある問題が起こってしまい。急遽その対応をする必要が生じまして。多分ヘリコプターの所要時間は二時間程度です」
杉田師長は頼もしげな感じで頷いている。
「その状況だと厚労省に帰ってからも、麻酔は必要よね?誰が打つの?……もしかして、呉先生?」
打てるのかといった表情だった。局部麻酔なら絶対に杉田師長が慣れている。そう思えば、当然の反応だった。
「はい!田中先生の手技を見て、余さず記憶に留めます」
呉先生の声はすっかり覚悟が決まった感じだった。杉田師長は黙って頷くと、キビキビした動作で救急救命室へ戻っていく。
「祐樹、有難う。私だけでは杉田師長を説得できなかったと思う。さ、森技官は私が肩を貸しますので、呉先生は祐樹からアドバイスを聞いてください」
祐樹は呉先生と先に救急救命室に入ったが、杉田師長が人払いをしてくれたのか、処置室には誰もいなかった。医師の場合は、救急車のサイレンが鳴るまで自由にしていい凪の時間はコンビニに行ったり祐樹のように気分転換に外に出ていたりするのかもしれない。
「え、足の爪が割れているのに、革靴?それはお勧めできないけど、何か深い事情があるのよね?」
杉田師長はシリンジやアンプルなどを手早く用意しながら呆れ顔だった。
「はい。詳細は申せませんが、重大な問題が生じまして、絶対に革靴でないと駄目なのです」
森技官を座らせた杉田師長は脱いだ靴をしげしげと見、そして触っている。
「なるほど、こっちのガーゼは田中先生、靴の革を緩めたのは……香川教授、ってわけね」
呉先生が急な突風に驚いているスミレのような表情だった。そういえば、靴の細工をしている時に呉先生はキッチンにいて現場を見ていないのだったなと苦笑した。杉田師長は祐樹の手技をよく見ているので、靴の爪先へドライヤーを当てた最愛の人の手作業は消去法だろう。もしくは、学生時代、ボランティアをしていた最愛の人の手技を覚えていたのかのどちらかだろう。学生は当然医師免許取得前なので、医療行為は出来ない。しかし、この救急救命室は杉田師長の指示のほうが重いし、立っている者は親でも使えというのが杉田師長のポリシーだ。そしてここは治外法権とか出島と呼ばれているので最愛の人も使命感で何かを手伝った可能性は高い。あまり踏み込みたくはないのでスルーすることにした。
祐樹は呉先生にアドバイスをしながら注射針を刺していく。ちなみにその様子を見たくないのか、森技官は顔を横に向けている。最愛の人は、祐樹の局部麻酔の手つきを呉先生と同じく真剣な眼差しで見つめ、まるで朝露を湛えた白百合のように、静かに、そして誇らしさを宿した微笑を浮かべた。

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