気分は下剋上 巻き込まれ騒動 80

「気分は下剋上 巻き込まれ騒動」
This entry is part 6 of 25 in the series 気分は下剋上 巻き込まれ騒動

「いや、このアングルは良いのですが、表情が少し強張っているのではないかと思うのですが……?私の恋人は、もっと柔らかい笑顔で笑うのです」
 祐樹達が撮ったスマホの写真、これで四回目のダメ出しだ。すでに諦念の悟りの境地に至ったつもりの祐樹だが、それでもムカっとしてしまう。しかも、ソファーに座っているとはいえ、森技官は床に足をつけている。体重は乗っていないにしろ絶対に痛いはずなのに、「恋人とのツーショット」という喜びで脳内物質が過剰に分泌されているのではないだろうか。
 そして、あれだけ血が苦手で、爪を割り数滴の血すら直視できなかった森技官が医学部を優秀な成績で卒業できたのかも謎だ。聞いた話では、解剖のときには「見ない」「嗅がない」「考えない」の三点セットで乗り切ったらしい。脳の中で、血液や臭いの情報を無理やりシャットアウトしていたわけだ。ある意味、普通の人よりも高度な精神コントロールかもしれない。恋で痛みを消し、意志で吐き気を止める――本当に森技官の生き様は人体の不思議そのものだった。
 もし祐樹が臨床医でなく研究医だったなら、真っ先に被検体にしたいと願ったかもしれない。もちろん今の時代では到底許されないが、昔の倫理観ならば――そうナチスが医学を名目に非道を正当化していたあの時代なら、「人体実験をしたい」と本気で考えていたかもしれない。
「はい、チーズ」
 最愛の人の声に機械的に撮影ボタンを押した。
「如何ですか?」
 最愛の人は森技官の足の怪我を配慮しているのだろう。撮影が終わるたびにわざわざスマホを持って森技官と呉先生に見せに行っている。まるでテレビのアシスタント・ディレクター、いわゆるADみたいだ。教授職をこんなふうにこき使うなんて、どう考えてもおかしい。……何だか腹が立ってきた。
「うーん、髪の流れが少し野暮ったいですね。もっと自然に、風が通ったような感じで――。私の恋人の髪の毛は細くて、微風そよかぜにもサラサラとなびく様子が絶品なのです」
 知るかよ!……お前は監督さえ気を使う大物俳優か。撮影スタッフでもなければ、町の写真館でもない。ああいうところだって、撮り直しはせいぜい三回か、良心的な店の場合五回と聞いている。お子さんの七五三の話などで話題にのぼるので知っていた。そして、この森技官のナゾの執着とこだわり、充分に実験に値する。ナチス時代のドイツだったら、森技官の脳は真っ先に解剖されていたに違いない。
 その隣に座っている呉先生は呆れたように細い眉をひそめてはいるが、その頬はほんのり赤く染まっていて、完全に拒んでいるわけでもなさそうだった。まるで、少し強い風に揺れながらも、どこか楽しげに揺れているスミレの花のようだ。次第に立腹の度合いが上がっている祐樹に反して、呉先生の髪をぐしで整えている最愛の人は、感情を封じ込めた仮面のまま、淡々と森技官の理不尽な要求に応じ続けていた。それはまるで、祈りのように静かで、儀式のように機械的だった。
「こんな感じですか?髪の具合は?なんならヘアムースを持ってきましょうか?」
 器用になんでもこなす最愛の人の呉先生へのヘアアレンジは流石だった。
「いえ、大変結構です」
 森技官も満面の笑みを浮かべている。絶対に脳内物質で神経回路が遮断されているのだろう。それはともかく最愛の人は、もはやADだけでなく、ヘアメイク係まで兼ねる気らしい。真面目で完璧主義な人だと知っていたが――まさかこんな茶番にまで全力で向き合うとは思わなかった。……それにしても森技官の完璧主義には心の底から腹が立つ。
「いっそのこと、スマホで動画を撮って、帰宅してからお二人で相談し『これだ』と思ったところをスクショしたらどうですか?その方がより完成度の高いキスシーンになると思います」
 ――芸能人のSNSじゃあるまいし、そこまでこだわる意味も分からない。救急救命室の凪の時間に柏木先生がうっとりとスマホを見ていたので覗き込むとたしか、井川遥という女優さんのインスタ画面で、自宅らしいキッチンで料理をする姿もベストアングルで撮られているかのようだった。やはり、芸能人はプライベートな画像まで気を使うのだと思っていたが、森技官は芸能人でもないのにこの完璧主義……。まあ、この茶番が終われば「呉教授」誕生ミッションの対策会議で、完璧なプランを出してくれるだろう。
「ああ!それはナイスアイディアですね」
 呉先生がお日様を浴びたスミレの花みたいな笑みを浮かべている。撮影する最愛の人や祐樹も疲れるが、被写体だってそれなりの緊張を要するのである意味自然な反応だろう。森技官は、なんだか満面の『悪い顔』で頷いている。
「では撮りますね。3・2・1」
 祐樹の合図とともに最愛の人も撮影ボタンを押したのだろう。ピロンという控え目な電子音が二つ聞こえてきた。呉先生と森技官がキスを交わしている。まるで映画のスチール画のように美しく静止していた。呉先生の自然に流れた髪や頬の赤さも「芸術」と表現してもいいくらいだ。それに忌々しいことに、森技官は苦み走った端整な顔、そしてアルマーニをお直しなしで着ることができる日本人には珍しい体型なので、ものすごく絵になる。しかし、その均衡は直ぐに崩れた。

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