「気分は下剋上 今年限りのもの」中編

短編
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This entry is part 10 of 18 in the series 下剋上SP

「そうか。野戦病院みたいな修羅場ではなくて本当によかったな。疲れているのならこのまま帰宅して暖かい寝室で眠りたいだろう?」
 最愛の人が気遣うように首を傾げ、祐樹を見上げた。マフラーにくるまった細い首が、夜目にも際立つ白さだった。
「いえ、これから二人で見にいくものは、何かは知りませんが、今年限りなのですよね?是非とも見たいです、貴方と二人なら特にね。救急救命室で過ごす時間と、貴方といる時間は全くの別物ですので、疲労は全く感じません」
 科によって若干は異なるものの病室の患者さんの夜間の外出は禁止だ。そしてこの寒さでは医師や看護師が気分転換に外に出ようとは思わないのだろう。この世に二人しかいないのではないかと思うほどの静けさの中を歩むのも楽しい。この辺りがどの科に属するのかも分からない。普段は足を踏み入れたことのないエリアだった。最愛の人は、何だか確信に満ちた足取りだった。
「ここに祐樹と来たかったのだ」
 最愛の人の誇らしそうな声が、柔らかな光を放つ木に寄り添うように響いた。
「とても綺麗です。一本の木に電飾が施されていますね。最近のイルミネーションは色や光の派手さを競うような感じですが、ここの木はとても柔らかい感じがします。どこの科の中庭ですか?」
 靴の感触からして、芝生なのだろう。中庭に立った一本の大きな木だけが、淡く柔らかな光を放っていた。
「精神科の中庭だ。昼間は患者さんが散歩する場所として使われているな。祐樹に気に入ってもらえて何よりだ。ああ、そこのベンチに座るともっとよく見える」
 大学時代から精神科に興味が全くなく、サボれるだけサボった祐樹がこの中庭を知らなかったのは仕方ないだろう。その点最愛の人は精神科出身の呉先生と対等の議論ができるレベルなので、学生時代からこの病棟に通っていたとしても全く不思議ではない。二人してベンチに座り、幹から枝に施されたネックレスのような光を眺めた。最愛の人の温もりと湯上りのボディソープの香りが祐樹の心と身体を落ち着かせてくれる。
「精神科になぜ、このような光の装飾があるのですか?」
 機能性に特化した救急救命室にも、そして病院の看板教授がいる香川外科にも存在しない綺麗な空間だった。
「あの光を見ると精神的な癒しになるのだ。もちろん、病名や症状によっては悪化する患者さんもいるのだが、そういう患者さんの病室は看護師が遮光カーテンを引くことになっている。しかし、癒される患者さんのほうが多いのも事実だ」
 それは祐樹も納得した。最愛の人と見ているからという理由もあるだろうが、一人で夜に通りすがったとしても一瞬足を止めて眺めるだろう。祐樹の素人レベルの精神科知識ではセロトニンが関係するのだろう程度しか分からないが、最愛の人とこの場で精神疾患の話をするのも無粋な気がした。
「では大部分の患者さんに対して役に立っているということですよね?それでしたら存続させればいいと思うのですが?」
 最愛の人が言った今年限りという言葉が妙に引っかかった。
「――それが、この木の灯りを思いついたのは並川前精神科教授だった」
 並川前教授……何だか最近その名前を見た気がする。
「ああ、最近お亡くなりになったかたですよね?」
 その前教授の訃報を院内LANで見た気がする。
「そうだ。呉先生の恩師でもある人らしい。その並川教授が、多くの患者さんのためにこうした灯りをつけたのだが」
 最愛の人は遣る瀬なさそうに首を振った。
「――実は真殿教授とは犬猿の仲だったそうで、亡くなる前は遠慮していたらしいが、鬼籍に入ったと知った瞬間、廃止を決めたと聞いている」
 真殿教授の悪評は色々な人から聞いている。亡くなった人の思いを継承するタイプとも思えない。
「それは大人げないですね。患者さんの害にしかならないという新たな学説なり臨床結果が出てきたなら話は別ですが、どうせ真殿教授はこの見事な光の木を見ないでしょう」
 真殿教授は常に病棟にいる小児科の浜田教授とは対照的に教授執務室に引きこもって、些細なミスをした医局員を呼びつけるタイプだと聞いている。教授執務室とここはかなりの距離がある。
「祐樹の言うことは正しい。しかし――」
 最愛の人は言葉を切った。
「しかし?」
 薄紅色の唇が白い息をはくのが妙に寒々しい気がして祐樹の唇の熱を分けるように接吻した。その二人を祝福するかのように柔らかな光が煌めいている。やや細い肩に腕を回してキスを深めた。キスごとこの綺麗な光を覚えていたくて。最愛の人の唇が温かく湿ったのを舌で確認し、唇を離した。
「祐樹の肩も冷たいな……」
 最愛の人の白く長い指がマフラーを外し、二人の肩を一つの布でくるみこんでくれた。
「貴方の手編みのマフラーはよりいっそう暖かいです。何しろ愛情がこもっていますからね」
 ほの紅い唇が笑みの花を咲かせている。
「――先ほどの話の続きだが」
 この見事な木の灯りを消すのは、もったいない気がする。いったい真殿教授は、どんな言い訳か言いがかりをつけたのだろうか?

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