「気分は下剋上 ○○の秋」8

◯◯の秋 2025【完】
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This entry is part 8 of 27 in the series 「気分は下剋上 秋の愉しみ」2025

「祐樹は軍手だけで良いのか?」
 彼が描いたように綺麗な眉を寄せている。軍手だと心もとなく思ったに違いない。当たり前だが手を始めとして身体の怪我を負ってしまえば仕事に差し支える。
「物心ついた時から山や海を走り回っていましたから、軍手だけで大丈夫です。長袖のシャツ二枚にスラックスを身につけていますので、万が一転んでも怪我は最小限に抑える自信はあります。靴はトレッキングシューズにしました。幼い頃はサンダルで山を走り回ったり秘密基地を作ったりしていましたから、その時よりは安全ですよ」
 キッパリと言い切ると作業着姿の最愛の人は安心したように微笑んでいる。
「そうなのか?祐樹はその頃から活動的なのだな」
 ワークマンやホームセンターで買った栗拾い用の道具……、祐樹はあわよくば松茸を狙っているが多分無理だろう。そもそも松茸はその名の通りアカマツという松がよく生えている山が狙い目だ。栗の木と赤松が多い山は共存できないという厳しい現実がある。
「さてと、必要な物は積み込みましたし、そろそろ出発しましょうか?」
 最愛の人が用意してくれた荷物を祐樹の愛車に積み込んで声をかけた。
「祐樹、お弁当を作ったのだけれども、それはキッチンに置いてあるので持ってくる」
 最愛の人がきびすを返すと、ポケットなどの布地の多い作業服の上からでもスタイルの良さが際立っていて目を奪われた。このマンションでは襟ぐりの深いウールの室内着、病院ではスーツや白衣姿をよく見るし、そのたびごとにドキリとするが、作業着というある意味全く色気がない服でも彼が着ると何だか特別で清冽な色香が漂うような気がする。
「祐樹、お待たせ」
 軽やかな足取りで風呂敷に包んだお弁当箱と思しきものを花束のように胸に抱えている。祐樹はお弁当のことはあいにく失念していた。車での移動なので食事もそこいらのお店で済ませればいいと思っていたが、最愛の人は駄菓子リストを作るのと同様にお弁当まで気を配ってくれたのだろう。ただ、病院の中庭で看護師たちが輪になって食べる小ぶりのお弁当箱ではなくて、お節料理の重箱よりやや小さめなのも、彼の気持ちの弾みを表しているのだろう。
「午後の紅茶は買わないのですか?」
 市街地を抜けて田んぼに稲が実っているのどかな道を走りながら聞いてみた。最愛の人は「これだ」と思った飲み物を愛飲する性格だ。ちなみに祐樹は選ぶのが面倒なのでブラックコーヒーなら何でもいい。助手席に座っている最愛の人はシートベルトを鮮やかな手つきで外すと、ワークパンツのポケットを探った。
「もしかしたら売っていないかもしれないとあらかじめ用意してきた」
 最愛の人がまるでトロフィーを掲げるように午後の紅茶 ミルクティのペットボトルを祐樹に見せてくれた。
「あ!祐樹は缶コーヒーがいいか?それとも私が淹れてポットに詰めたコーヒーを飲むか?」
 先ほど彼が見せてくれた風呂敷包みにはポットも入っていたらしい。
「山に着いて、いい場所を見つけ昼食を摂ったのちに食後のコーヒーに貴方お手製のコーヒーを味わいたいです。それまでは缶コーヒーで我慢します」
 自販機を見つけたら停車させようと思っていたら、彼は反対側のポケットから魔法のようにブラックコーヒーを取り出すと、プルトップを開けて手渡してくれた。
「ありがとうございます。頂きますね」
 最愛の人の作業着はまるで未来のネコ型ロボットの四次元ポケットのようだ。とはいえ、多分便利な道具ではなくてお菓子がたくさん入っているのだろう。
「祐樹、『きのこの山』と『たけのこの里』どちらがいい?」
 救急救命室から帰宅した日のことを思い出した。彼の流麗な筆跡で「おやつリスト」を作成していた。そしてどちらにするかを悩んだ形跡もあったが、結局のところ両方買ったのだろう。祐樹は一緒に買い物に行っていないが、売り場でも散々迷ったに違いない。しかも白い花のような笑みを浮かべて選んでいる様子が目に見えるようだ。
「貴方が食べさせて下さるなら『たけのこの里』ですね。それはチョコレート部分が多いのでハンドルにつくおそれがあるので……。その点『きのこの山』はチョコが上部にしかないので、食べやすいです。しかし、運転中に食べさせてもらうと最悪事故を起こしてしまうので、『きのこの山』を食べたいです」
 最愛の人は納得したような表情を浮かべ内側のポケットから懐かしいイラストが描かれた箱を取り出して切れ目に沿って几帳面に開けている。
「……そういえば、今無性に酸っぱいものが食べたいです」
 彼が手渡してくれたコーヒーを一口飲んでリクエストした。彼が作成したリストの中に「カリカリ梅」なるものが入っていたのを思い出しただけで、特に酸っぱいものが欲しかったわけではない。ただ、祐樹がそう言うときっと彼は喜んでくれるだろうなと思っただけだ。
「酸っぱいもの……。梅一個を浅漬けみたいにしたお菓子と、酢こんぶがある。どちらがいい?」
 あらかじめ答えを知っていることはおくびにも出さずに、数秒考えるふりをした。
「梅の浅漬けですか。それは美味しそうですね。そちらを先にいただきます」
 最愛の人の口元に浮かんだ笑みは、秋風に揺れるコスモスのように控え目で、心を和ませる力があった。
「先に『きのこの山』を食べるか?それとも『カリカリ梅』がいいだろうか?」

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