「それもそうだな。トングがあれば手に炎症が起こらないと軽く考えていた……。ただ、銀杏など病院の敷地内に生っている食べられるものを捨ててしまうのはもったいないと思うのだ。旧館はほぼ呉先生が把握しているだろう」
最愛の人の言うとおりだと祐樹も思った。不定愁訴外来を訪ねても不定愁訴外来の患者さん以外すれ違う人はいない。なぜ不定愁訴外来の患者さんだと分かるかといえば、パジャマにカーディガンを羽織った人だからだ。「外来」と名前がついているけれども、入院患者しか診ないのがこの病院の不文律だ。
その点、呉先生がかつて在籍していた精神科は在宅で療養中の患者さんが通ってくるらしい。心臓外科の祐樹が精神科の内部事情を知っているのは、精神科と救急救命室を掛け持ちしている清水研修医が教えてくれるからだ。
「呉先生と相談して銀杏を有効活用できるようにすればいいと思いますよ。さてと、必要な物は全て買いましたので、そろそろ帰宅しますか?あ!松茸を見つけた時のことを考えて、木箱とその内部に敷く松葉も用意すべきでしょうかね……?」
冗談が九割、本気一割で言ってみたら、最愛の人は薄紅色の朝顔のような笑みを浮かべている。特に笑わせるつもりもなかったので、その笑顔は充分過ぎるほど幸せな気持ちになった。
救急救命室の勤務から帰宅し、気配を消してマンションに入った。最愛の人はベッドの中で祐樹を待っているか、眠りの国に滞在しているだろう。喉が渇いたのでキッチンに入って冷蔵庫からミネラルウオーターのボトルを取り出そうとした。冷蔵庫の明かりで、いつもはキチンと片付いているテーブルに紙片が見えた。彼は言うまでもなく教授職なので、祐樹にも話せない大学病院の機密もあるらしいが、そういう文書は書斎でしか扱わない。キッチンに置きっぱなしにしているということは祐樹が見てもいいということだろう。A4の紙に流麗な文字がきちんと並んでいる。祐樹とは異なって最愛の人の文字はとても美しい。
そんなことを思いながらよく見ると、「アポロチョコ 2箱」や「酢昆布 二箱」「ベビースターラーメン」など駄菓子が並んでいた。しかもその単語の先頭には祐樹が書くなら定規が必要なレベルの四角が几帳面に並んでいる。多分、買ったかどうかをチェックするために違いない。微笑ましい文字列を見ながらミネラルウオーターを飲んでいると、最愛の人の端整な文字が弾んでいるような気がした。きっと就寝時間がくるまで楽しく悩んでいて、その心の躍動が文字に現れていたのだろう。普段は理知的で落ち着いた人が「キノコの里」か「タケノコの山」を真剣に悩んでいたのかと思うと胸の中が熱くなった。「キノコ」と「タケノコ」の前には□にチェックを入れてボールペンで消したにも関わらず、再び復活させていることからすると、相当に悩んだのだろう。こういう無邪気な一面は祐樹にしか見せない点も愛おし過ぎて、もっと大切にしたくなる。このリストは取捨選択の前段階か、それともほぼ確定なのかは分からないが、とにかく彼が一生懸命悩んだ証だと思うと見ているだけで楽しくなる。
「カリカリ梅」と書いた後ろには「祐樹は気に入ってくれるだろうか?」とまで書いてあって愛の深さを感じてしまった。祐樹はその駄菓子を食べたことはないが、どんな味であっても最愛の人の前で美味しそうに食べようと決意した。
「祐樹、似合うか?」
現地で着替えるよりも、マンションで着たほうがいいという祐樹の提案で、最愛の人は作業着姿を披露してくれた。何個あるか祐樹も知らないポケットにお菓子をたくさん詰めた最愛の人が満面の笑みで祐樹を見ている。彼の場合駄菓子は、心臓病のお母さまが心配で遠足や社会見学、そして修学旅行まで行っていなかった。だから、祐樹が当たり前のように遠足用の小遣いをもらって買いに行ったという記憶がないと聞いている。その代償行為か、駄菓子をこよなく愛している。とはいえ、ドライブデートのときにしか買っていないし、普段はどちらかと言うと高価なフィナンシェなどを好んでいる。
「建築作業員には見えないですね。強いて言えば……」
怜悧で端整な顔と若干華奢な肢体に作業服は正直似合わない。二人で行ったワークマンに来ていた若者は筋肉の厚さで似合っていたが、作業量が異なるので仕方ないだろう。
「そうか……、やはり似合わないのだな……」
雨に打たれて悄然とした花のような表情を何とか変えようと言葉を探した。
「強いて言うなら、大手ゼネコンの社員が下請けの工事を査察に来る際に、スーツではなく現場に合わせた作業着を着用したように見えますね。よく知りませんが、大手ゼネコンの本社の社員は普通、スーツで仕事をしているイメージがあります。それと同じではないでしょうか?貴方だって、通勤着はスーツで、作業着は着慣れていない点が似ていると思いますよ」
白い蓮の花に静謐な陽の光が当たったような笑顔に変わっていくのがとても綺麗だった。
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