- 「気分は下剋上 ○○の秋」1
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「わ!祐樹、この軍手の品ぞろえ……圧巻だな」
開けっ放しという今どき珍しい入口から入ると最愛の人が切れ長の目に無邪気な驚きの色をたたえて、祐樹を見上げた。
「軍手や安全靴ばかりが並んでいるのは客層を考えたらまだ分かるのだけれども、十束とか段ボール単位など、色々な単位で買えるようになっているのは何故だろう?」
細く長い首を傾げている。
「中小企業も社風が色々あるからではないですか?そういう備品めいたものは、会社の経費で一括して買う社長さんもいれば、個人で調達しろと言う人もいるのでしょう」
最愛の人は納得したように頷いた。
「つまり良心的な会社は法人ごとに段ボールで買っていくとか、個人でそろえさせるような職場もあるというわけか……。なるほど……。ただ私達はそんなに要らないな……。あ!祐樹、この軍手はどうだろう?」
一応店員さんのいる店内で無邪気にはしゃぐ最愛の人というのは初めて見たかもしれない。店員さんといっても、「いらっしゃいませ」とも言わず新聞を読んでいる気難しそうなご老人で、隠居後の暇つぶしを兼ねて店番をしているといった感じだ。こちらに注意を払おうともしない。そのほうが祐樹たちには都合が良い。
「祐樹、この軍手などジャストサイズだ」
しなやかな長い指に無骨な軍手がミスマッチすぎて思わず笑ってしまった。
「ジャストサイズはお勧めできませんね。栗のイガは長いですし、その指に傷をつけたら恋人失格です。それに私と一緒だと万が一医局にバレたら、黒木准教授以下の医局員全員に激怒されます。軍手は二重にしてはめるのがお勧めです」
最愛の人は軍手をはめたまま細い頤に手を当てて考えている様子だった。
「だったら、いつも使っている手袋があるだろう?」
最愛の人は百貨店の店舗を回るのが面倒だという理由と、そのフランスの老舗ブランドの品質が気に入っていることから一店舗で済ませている。
「はい、あの手袋はいいですよね。手袋をしたままで、本や新聞をめくることまでできますから。しかし、それが何か?」
祐樹も一緒に店舗に行ったときに、最愛の人が祐樹の手の大きさに合わせて贈ってくれたのを大切に使っている。
「あれはたしか羊の革だったと思う。水分には弱いという弱点があるものの、利便性は素晴らしいだろう?それに、栗のイガも多分貫通しない。あれをつけた上で軍手をはめると指を傷めないと思うのだ」
……「思うのだ」と言われてもお貴族さまがフランス革命で没落するまでは貴族御用達の馬具を作っていたというブランドの手袋の上に軍手をはめるという発想はなかった。
「それは……貴方の担当者が見たら泣いて悲しむような気がしますが?」
彼は呆気にとられた子供のような表情を浮かべている。
「そうなのか?実用品を作っているというのが自慢の店で、女性に割と人気のあるバッグは、もともと馬の首にかけた飼葉入れだ。実生活に基づいた品物だと思うので、多分担当さんは喜んでくれると思う」
実用品としては価格が非常に高いという点はこの際忘れたほうがよさそうだ。
「そうだったのですね。長岡先生も普段使いしていますから、そうかもしれないです」
最愛の人の指を保護するという観点からは最適なような気がした。ただ、病院の看護師たちが垂涎の的のブランドの手袋の上に軍手をつけるのはどうなんだ?とは思うが祐樹以外見ないだろうからスルーしよう。
「……栗拾いに行ったことまでは特に隠さなくてもいいかと思いますが、エルメスの手袋の上に軍手をはめたということは口外しないことをお勧めします」
最愛の人は細く長い首を白鳥のように優雅に傾げている。
「そうか?祐樹がそう言うなら、そうなのだろうな」
手にはめていた軍手を外して一つ上のサイズを試着している。
「多分これで大丈夫だと思う。ヘルメットや反射ベストは必要ないだろうな……。反射ベストは、祐樹と一緒に夜のドライブに行ったときに工事中の交通整理をしていた人が着ていたような気がする。夜間用なのだろう?」
そんな些細なことまで覚えているとは……。祐樹が知る限り最も記憶力も卓越している人ではあるものの、関心のない分野だと思っていたが脳のどこかに几帳面にしまってある記憶を呼び起こしたに違いない。
「ヘルメットは必要ないですね」
「オヤジさん、ちーっす!」
二人で話していると常連らしい若い作業員が入店してきた。その気配を察して、最愛の人も無表情を取り繕っている。そういえば今日は土曜で、建築業は出勤日だと聞いたことがある。最愛の人とは逆に店番の老人は老眼鏡を外して無骨な笑みを浮かべその若者と工事現場で飛び交うような専門用語を使って話している。
「あの筋肉に、恵まれた体つき……精神科のメンズナースになって欲しいくらいだ……」
確かにその若者は肉体労働者らしくしっかりとした筋肉がシャツを押し上げている。
「仕事の話になるのですね。確かに向いてそうですが……。貴方が精神科の心配を?」
祐樹が、茶化すように言うと彼は描いたように整った眉を寄せている。
「あの科は、教授がパワーハラスメントをしょっちゅう仕出かすので離職率が高いのだ。今は医師よりも看護師のほうが圧倒的に人手不足だからな」
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