「気分は下剋上 ○○の秋」18

◯◯の秋 2025【完】
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This entry is part 18 of 27 in the series 「気分は下剋上 秋の愉しみ」2025

「奇跡的に落ち葉が溜まっていたところに落ちたのです。その家の人が慌てて病院に連れていってくれましたが、何の異常もありませんでした。そして、お詫びにと柿を山ほどもらいましたね。しかし、当たり前ですが、母にはこっぴどく叱られました。栗は即座に食べることが出来ないのですが、母にゆででもらったら大丈夫なので、時々持ち帰りました。だから葉の形は覚えています」
 息を詰めて聞いていた最愛の人は、ホッとしたような表情に変わった。大学病院にいるときとは異なって前髪は自然に下ろしているし何よりワークマンで買った作業服姿というのは新鮮だ。この格好だと、祐樹より二歳年上とは思えない。知らない人が見たら、祐樹と同い年か、もしくは年下だと判断するだろう。
「そうなのか。それはよかったが、柿の木は脆いのだな。そういう知識は図鑑などでは得られないのでとても興味深い。成人男性の体重だったら幹ごと折れてしまうかもしれないので気をつけよう」
 何だか本気で木登りを考えているような口調だった。
「それは危険なのでやめてください。運動神経がいいのは承知していますが、骨折を避けることはできても、枝などで擦過傷を負った場合、スーツ姿のときはともかく手術着のときに他人に見られます。特に柏木先生や久米先生などは、さまざまな怪我に慣れていますからね。「高い場所から落ちた」程度のことは、すぐに見抜かれるでしょう。しばらくは医局で色々と噂されますよ。仮に指関節の捻挫であっても、神の手と称された指に傷をつけるのは恋人としても、そして医師としての立場からも、絶対に避けるべきだと忠告します。貴方のこの手に傷をつけるようなことは止めてくださいね。それに、患者さんを始め手術スタッフに迷惑をかけることになります」
 言い過ぎかとは思ったが、祐樹がどれだけ案じているかは、はっきり言うべきだろうと言葉を続けた。とはいえ口調はゆっくりかつ穏やかだったので、彼も頷きながら聞いてくれた。
「祐樹、心配してくれてありがとう。そうして私に寄り添い、厳しい言葉をかけてくれるのは、地球上で祐樹だけだ。ついつい心が弾んで埒もないことを口走ってしまったが、実行するつもりはない。ただ、幼い頃、多分何かの映画だったと思うが、子供たちが木登りをして遊んでいるのを見て一回してみたいと思ったことを今更のように思い出した……」
 最愛の人は学校に行く以外は病気のお母さまが心配でずっと家にいたと聞いている。だったら祐樹が当たり前のように山や海で体験していたことを羨ましく思うのは当然のような気がした。
「このままの体力を維持できれば、大学病院を定年で辞めた後、日本では無理かもしれませんが、どこかの山に行ってトレッキングのついでに木登りもできますよ」
 祐樹は山道というより、けもの道に近い道に入り込んで目にした物を拾った。
「そうだな。海辺の街でクリニックを二人で経営しながら、気が向けば、今はいけないようなマチュピチュやウユニ塩湖に祐樹と行く約束だったからな。船で行く旅もきっと楽しい」
 ――現実には、最愛の人は病院長を経て学長に就く可能性が高いし、外科医学会でも重鎮として名誉職は確実だと祐樹はみている。そういう場合色々なところで講演なりセレモニーの挨拶なりをしなければならないので夢のリタイアメント・ライフは、まだまだずっと先だ。もしかすると一生ないかもしれないと覚悟はしている。
「そうですね。『飛鳥Ⅲ』で行く世界一周の旅などはきっと楽しいと思います。はい、これを約束代わりに差し上げます」
 拾った物を最愛の人の黒い手袋の上に置いた。
「こんなに大きくて、しかもすべすべ・つやつやのどんぐりは珍しいな。ありがとう、祐樹」
 最愛の人が紅葉から木漏れ日が漏れるような笑顔を浮かべてくれた。最愛の人はどんぐりばかり集めている様子はリスのような愛らしさだった。
「そろそろ、栗の」
「あ!」
 最愛の人が弾んだ声を上げ、黒い手袋で前を示している。そこには薄い緑色のイガに包まれた茶色の栗が恥ずかしそうに顔を出していた。
「いい感じの栗ですね。イガが自然に開いていることと、実が茶色いことが見分けるコツです」
 先ほど、しめじの区別は最愛の人に完敗だったこともあり汚名返上のチャンスだ。
「そうなのか?図鑑で見たのは茶色のイガだったが?」
 熱心そうに煌めく眼差しは無垢で無邪気な色をたたえている。
「秋の始めならこんなものですよ。秋が深まるにつれてイガも茶色になります。しかし、これは実が茶色ですよね?ちゃんと食べごろですよ。さてと、こうなった栗はこうやって採るのです」
 靴でイガを軽く踏むとパカッと割れて見事な栗が姿を現した。
「わっ!本物の栗だ。イガは触らないように、だったな」
 最愛の人は黒い手袋の上から軍手をはめている。
「これは簡単なほうですね。割れている部分が少ないときは、トングを使います。口で説明するよりも見つけたら実践しますね」
 最愛の人がいそいそとした手つきで栗の実を拾って背負っていたカゴに入れている。
「あ!祐樹、あそこにも落ちている。あれなら私でも採れそうだ」
 弾んだ声が栗の林に溶け、琥珀色に凍りつくような気がした。

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