「私が医局内で久米先生に行っていることはパワハラにあたるのでしょうか?」
不安になってきたのでこの際最愛の人に聞いてみよう。祐樹は久米先生にパワハラをしている自覚はなく、むしろ愛のあるイジりだと思っている。そして久米先生も、わざわざ祐樹にツッコミを期待して話しかけるふしが多分にある。祐樹が頭を軽く叩くまでがワンセットというか、様式美とすら思っているのが久米先生だ。
しかし、久米先生は研修医で祐樹は医師なので上位者であることには変わらない。それもパワハラ認定されるのだろうか?黒木准教授は「はて?」といった表情だった。何しろ黒木准教授が医局にいるときも久米先生の頭をパシッと叩くまでの一連の流れを笑って見ていた。
「あれは、久米先生自らが田中先生に構ってもらいたくてワザと絡みに行っていると思っていました。だから笑って見逃したのですが」
黒木准教授も、やや不安げのようだった。セクハラもそうだが、相手がどう考えるかによるという知識くらいはあった。言うまでもなく、祐樹と最愛の人は恋人関係なので、デートの夜、いや場合によっては昼間でも、局部を愛撫したり彼の弱い箇所を弄ったりしている。そういうときの彼は嫌がるどころか積極的に「もっと」と言葉や仕草で促してくる。だからセクハラではないことくらいは分かる。ただし、いくら生涯を共にするパートナーの誓いを交わしたとはいえ、最愛の人が「嫌だ」と愛の交歓を明確に拒んだ場合は「不同意性交等罪」が適用されることは知っている。最愛の人はむしろ嬉々としてあの薄紅色の唇で祐樹の灼熱の楔を――いや、これ以上考えると祐樹の身体が覚えているあのすさまじい快感であらぬ場所が反応してしまう可能性があるため、想起を強制的に終了させた。
「厳密には、身体的な攻撃に該当する可能性は高い。具体的には机を叩く・肩を小突くなども該当するので」
最愛の人は綺麗な眉をわずかに寄せて話している。祐樹は内心で冷や汗をかいてしまった。
「ただ、私も、ゆ…田中先生が久米先生の頭を叩く場面に居合わせたことがあるけれども、久米先生が明るく受け入れていただろう。それに、久米先生は漫才でいうところのボケ役を務めていて、ゆ…田中先生はツッコミ役としての冗談・漫才的なコミュニケーションの一環だと認識している。それに久米先生は田中先生に叩かれても、屈辱や恥を感じていないだろう?」
屈辱どころか嬉しがっているのが本当のところだ。久米先生は祐樹に構って欲しくて、飼い主に可愛がられすぎた犬のように丸っとした身体をマリのように弾ませて祐樹のそばへと走り寄ってくる。何でも「ペットを飼っている人は可愛いからと必要以上に『おやつ』をあげた結果愛犬が肥満するというケースが多い」と患者さんから聞いて、まるで久米先生のようだなと思ったことがある。実際の久米先生は、救急救命室の休憩室に山のようなポテチを備蓄しているし、凪の時間にコンビニに買い物に行くと必ず揚げ物を三つ以上買ってくる。祐樹や柏木先生が太るのを回避したくて「おでん」はこんにゃくや大根が多いのとは好対照だった。
「久米先生は屈辱を全く感じていませんよね?」
何だか不安になってきた。
「感じていないと判断しています。むしろ喜んでいるというのが私の認識です」
黒木准教授が頼もしい口調で助け舟を出してくれた。最愛の人も「同感だ」という淡い笑みを浮かべている。
「それに、研修医と医師とはいえ、救急救命室では対等の立場ですよね?医局でも、久米先生は田中先生に次ぐ外科医としてのポテンシャルを持っています。久米先生もそれを薄々感じているようで、田中先生をとてもリスペクトしているように思います。そのため、ゆ…田中先生に構ってほしいという気持ちになるのだと判断し、問題ないという結論に達しました。我々外科医は手技を競うという面もありますよね」
教授執務室に怜悧で落ち着いた声が響いている。
「――仮にですが、田中先生が久米先生のポテンシャルを潰そうとする目的で人格否定などを行っていた場合はパワーハラスメントですが、現実は逆で、田中先生は久米先生の外科医としての成長を楽しみにしていますよね。ですから全くパワーハラスメントにはあたらないというのが私の公式見解です」
最愛の人のごく薄い紅色の唇から、銀の粉が舞っているような錯覚を覚えた。
「教授のお言葉で安心しました。セクハラと認識していなくても、ついつい私が久米先生に行ってしまった行為が、彼にとって屈辱を感じさせるものならセクハラですよね?以後はさらに気をつけて久米先生に接するようにします」
黒木准教授はチラリと時計を見ていた。そろそろ潮時だろうと判断し、「後で参ります」と告げ、最愛の人に頭を下げた。「美味しいコーヒーをありがとうございます」秘書にも声をかけて執務室を後にした。
「黒木准教授、ちなみになのですが、美山に行ってしまった精神科のご友人の勤務先の病院とお名前を教えていただけませんか?」
教授執務階に敷かれたふかふかの絨毯の上を歩きながら聞いてみた。その先生の人柄や精神科医としての優秀さを聞いてみて、呉「教授」誕生のあかつきには医局へ呼んでいいか判断しよう。
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