「博物館やハリー・ウィンストンといった法人が持つ場合には別にいいと思いますが個人で持つと呪われるのでしょうか?」
二人で行ったスミソニアン博物館展の説明書きに書いてあったことを思い出しながら口にした。ちなみに祐樹は無神論者なので実際に呪いは信じていない。単に彼の見解が聞きたかっただけだ。
最愛の人は紅葉の形の生麩を微笑みながら食べている。「人間は美味しいものを食べると笑顔になる」と、何かの小説に書いてあったが、それは真理だと思う。
「それは心理学的に『錯誤相関』という語がまず挙げられる。統計的な根拠がないのに、二つの出来事の間に関係があると錯覚する現象だな。『ホープダイヤの持ち主が何人か亡くなった。だから呪いが原因だ』と錯覚してしまう」
祐樹は、大きなハマグリの入ったお吸い物を飲んだ後に口を開いた。
「え?人は必ず死にますよね?ホープダイヤは関係ないのではないでしょうか」
最愛の人は、薄紅色の唇に赤いギアマンの盃を近づけている。その姿はまるで映画のワンシーンのようだった。
「祐樹の言うとおりだ。個人的には『確証バイアス』が原因でないかと思っている。つまり、人は、自分の信じたい仮説を支持する証拠だけ集め、反証は無視する傾向にあるのだ。ホープダイヤの場合は、呪いがあるということを信じたいために、反証、この場合は、所有していたとされるルイ14世などは七十七歳で亡くなった。死因は糖尿病とそれに伴う壊疽だとされている」
当時のフランス王の食生活など詳しくは知らないが、何しろフランス料理の本場だ。美味しいものを好きなだけ食べていれば、糖尿病のリスクは高まる。そして糖尿病が進行すると、現代でも足を切断せざるを得なくなる――その程度の知識は祐樹も持っていた。
「それは天寿を全うした亡くなりかたですよね。呪いが入り込む余地はなさそうです」
大ぶりのハマグリを口に入れると、コリコリとした食感からハマグリの滋味に富んだ味が口に広がった。
「そうだ。ルイ14世という反証を無視している点で『確証バイアス』がかかっていると思うのだ。ちなみにルイ15世がダイヤを引き継いだが、64歳のときに当時流行していた天然痘で亡くなっている。天然痘は感染力もすさまじいので、これだって呪いではなく単なる偶然だろう。ちなみにこのころは誰も『ホープダイヤの呪い』だと思っていなかったらしい」
最愛の人は分厚く切られた鯛のお刺身を箸で優美に摘まんでいる。ごく少量のわさびを包んだ後にお醤油にさっと漬けて唇へと運んでいる。一滴も醤油を零さないのも流石だ。
「フランス革命後に、イギリスのホープ家が購入したのですよね?」
確かそう書いてあったはずだ。とはいえ、最愛の人とは異なって、祐樹の脳の容量には残念ながら限界があるので、不要と判断したことは脳の中のゴミ箱に入れる習慣がある。だからイギリスではなくアメリカだったかもしれない。ただ、「ホープ」という人名は英語圏にしかありえないことだけは分かる。
「そうだな。イギリスの銀行家として有名だったホープ家が購入している。その家では財政難・相続争いが続き、『呪いのダイヤ』という噂が広がった」
祐樹は、水滴が露のように宿っている銀のちろりを持ち上げて最愛の人の赤いギアマンに注いだ。
「銀行家というのは、今の銀行頭取のような高収入のサラリーマンではなく、貴方と見た『華麗なる一族』のような大資産家ですよね。世界大恐慌のようなことが起こったら破綻しても仕方がないと思いますし、相続のごたごたなんてお金持ちの間ではよくあることだと聞いています」
最愛の人は祐樹の注いだお酒を嬉しそうな笑みを浮かべて飲んでいる。
「祐樹の言うとおりだ。ただ、最近の日本では相続財産が百万円台の揉め事が最も多いらしいな。億単位の資産を持つ人が亡くなってもさほどトラブルは起こらないと聞いた」
最愛の人が銀のちろりを細い指で捧げ持ち、祐樹の盃に注いでくれた。彼が「聞いた」という相手はプライベートバンクの担当者からだろう。きっと、そういうところに勤めている優秀なバンカーは相続のときの準備も抜かりなく行っているのだろう。祐樹には縁のない話だけれども。
「百万円で親や兄弟と揉める世の中なのですね。それを悲しいと思うのは、一人っ子だからでしょうか。それはともかく、ホープダイヤを買えるような家は、没落のリスクが高いことは分かりました。そういう大資産家の家にダイヤがあった場合、『呪いのせいだ』という確証バイアスが働くわけですね」
最愛の人は頷き、そして計ったように空を眺め、切れ長の目に無垢な煌めきを宿していた。その光はどんなダイヤモンドよりも祐樹の目を強く惹きつけてやまない。
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