「気分は下剋上 知らぬふりの距離」56

「気分は下剋上 知らぬふりの距離」
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This entry is part 83 of 100 in the series 知らぬふりの距離

 もしかして、森技官が暗躍しているのではないかと思った。森技官も恋人のひいき目ではなく、呉「教授」を切望している。森技官は徹底したリアリストなので、恋人とはいえ私情で推すことはしないと分かっている。そして多忙を縫って何らかの仕掛けをしているのだろう。
「――あれ? 田中先生は呉先生と親しくなかったか?」
 呉「教授」の具体的な道筋を考えていた祐樹に柏木先生が話しかけてきた。
「親しいですよ。精神科医としての優秀さもご存知の通りです。しかし、親しいからこそ推薦しにくいというのが大学病院ですよね」
 黒木准教授はなるほどという感じで頷いている。
「呉先生の優秀さは斎藤病院長のお墨付きです。あれだけの大喧嘩をしても、左遷されずに旧館とはいえ大学病院に残れたのですから。私が知る限り真殿教授に逆らって病院に残っている精神科医は呉先生だけです。優秀な精神科医の流出を恐れた斎藤病院長が介入しブランチ設立という落としどころを作ったのでしょうね」
 「あれだけの大喧嘩」と言っている准教授の目には痛快さとでもいった光が混じっている。もしかしたら、黒木准教授は、そのさなかに真殿教授の執務室を通りかかったのではないだろうか?ウワサでは「執務室から漏れるほどの大声だった」と言われている。柏木先生は「うわ!そんなパワハラ医局だったのか!?ウワサには聞いてたけど、実際はもっとひどいんだな」と小さく呟いている。
「とにかく、私だけの判断で動くことは出来ません。教授に相談すべき内容ですね。最悪の場合は手術の延期、もしくは、中止ですから」
 黒木准教授は時計を見、ぜい肉のついた身体とは思えないほど身軽に立ち上がった。
「田中先生は主治医として説明をお願いします。柏木先生、医局のほうは問題ないのですか?」
 黒木准教授の問いに柏木先生は「やばっ」といった表情に変わっている。
「色々とこなさないとならない業務があります。私がいないと医局員たちは准教授に相談しますよね。そのお手間を考えれば医局に戻ったほうがいいです」
 医局員は、医局長の柏木先生がいないときには黒木准教授のこの部屋に電話する――それが香川外科のしきたりだ。今から教授執務室に黒木准教授と向かったら、誰に相談したらいいか医局員は戸惑うので、柏木先生の判断は妥当だ。
「さて、教授執務室に参りましょう。――ちなみに田中先生、その書類は何ですか?」
 黒木准教授は、ゾウのようにおおらかで温和そうな目で祐樹を見た。
「これは、兵頭さんの件で教授・准教授に報告すべきことをまとめたものです」
 黒木准教授の目がさらに優しい笑みへと変わった。
「それはいい心がけですね。一応預からせてもらいます」
 断る理由が全くないので手渡した。
「田中先生もずいぶん医師として成長しましたね。後進の成長を見るのが本当に楽しいのです」
 エレベーターホールには、先ほどとは違って誰もいなかった。柏木先生は階段を駆け下りたほうが早いと思ったのかこの場にはいない。医局階は病棟もあるため患者さんなども使うが、この階は准教授だけしかいないのである意味当然だった。
 ――後進の成長。夏輝は正確に言えば後進ではないが、祐樹にとっては出来れば見守っていきたい若者だ。そして、最愛の人も、知り合いのアメリカの有名俳優(名前は失念したが)と連絡を取ってまで、夏輝の夢であるハリウッド女優の専属美容師になるという目標を叶えようとしている。その最愛の人の意思を尊重するためにも温かな目を注ぎたい。ゲイバー「グレイス」で会ったときはよくいる蓮っ葉な青年かと思っていたが、父の有瀬誠一郎氏が搬送されてからめきめきと普通の青年になっている。三好看護師への自己紹介では「有瀬夏輝です」としか言っていなかったのに、柏木先生には「有瀬夏輝、夏に輝くと書きます」と名乗ったのも夏輝の進歩だろう。短時間のうちにそれほどの変化を遂げたのも、夏輝が空気を読む力のせいなのだと思うと、今は祐樹が作った書類を読んでいる黒木准教授と同じような気分になった。
「失礼します。黒木です。田中先生とご一緒しています」
 祐樹には見慣れた教授執務室を准教授がノックして告げている。いつもなら「どうぞ」という涼やかな声が聞こえるのだけれども、三十秒後に「どうぞお入りください」と秘書の声がして、ドアが内側から開いた。
「教授は今お電話中です。こちらでお待ちくださいとのことです」
 秘書が丁寧な感じで応接セットを手で示す。言われた通りに黒木准教授と並んで座ろうとすると、最愛の人は受話器を握ったまま会釈をした。スマホではなく固定電話を使っているということは病院長からの電話だろうか?秘書が淹れるコーヒーの香りは、喫茶店レベルだと上々といった感じだが、最愛の人が淹れてくれる薫り高さはない。
「はい。その件に関しましては完全に同意いたします。ウチの田中が――そうですか」
 最愛の人の凛とした声に、「え?」と思った。何故自分の名前が出てくるのだろう?病院長に言及されるようなことは最近していないにも関わらず。黒木准教授も「心当たりは?」という表情で祐樹を見ている。首を振ってノーを示すと、外科医として理想的な肉厚の指が顎に添えられた。
「分かりました。定例ではなく臨時の教授会で、ですね。いえ、内心はともかく……そうなのですね。精神科のメンズナースも、そういった被害に遭っていると」
 被害?メンズナース?

―――――

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