「気分は下剋上 BD・SP」おまけ 前編

短編
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This entry is part 4 of 9 in the series 下剋上SP

「おや、偶然ですね?田中先生、今お帰りですか?」
 森技官がThe官僚様といった黒塗りのクラウンに寄りかかっている。運転席には運転手も座っていた。「偶然なわけがない!今何時だと思っている。午前三時なのだぞ」と言いたいけれども今夜の救急救命室は野戦病院さながらの阿鼻叫喚といった状態で、祐樹も血の池と化した床を走り回って疲れている。
「こんばんは。今までお仕事でしたか?それはお疲れ様です。流石は天下国家のことを第一に考えて下さる官僚様ですね。法案は無事に作成できたのですか?」
 森技官が昼夜を問わず働いていることは知っている。
「はい、お陰様で。田中先生にお礼を申し上げたいと思っていたのに、なかなか時間が取れず申し訳ありませんでした。立ち話もなんですので本来ならお車で、と言いたいところですが、マンションはすぐそこですよね。歩きながらでも構いませんか?」
 森技官は「スーツは男の戦闘服」と豪語しているだけあって、こんな深夜でもパリッとしたアルマーニのスーツを隙なく着こなしていた。祐樹は百貨店の吊るしのスーツだというのに……。しかし、お礼とは一体何だろう?しかも深夜の病院の職員用の出入り口で待ち伏せされるほどの「お礼」だ。
「秋は月が綺麗ですね」
 森技官は祐樹の早足に難なくついて歩き、風流なことを言っている。そして黒のクラウンは徐行運転で後ろからついてきている。あらかじめ運転手さんに言い含めていたに違いない。
「お礼ですか?あいにく心当たりがないのですが?」
 早く帰って最愛の人が眠るベッドの中に入って彼の香りや温もりを感じながら眠りにつきたいという気持ちしかない。
「八木さんの山に自然薯を掘りに誘ってくださったでしょう?あれを適当に切ってチューブのわさびと醤油そして生卵をかけて食したのです」
 そういえばそんなイベントを催したなと思った。最愛の人は生わさびをすりおろしてくれた。とはいえ、自炊をしない呉先生はチューブのわさびを買ってきただけマシだろう。森技官が過剰ともいえる「蚊よけ」に潜水服というあり得ない恰好で自然薯掘りの集合場所に現れたときは、滅多なことでは動じない最愛の人も驚いていた。呉先生は車酔いをしていたせいで口数が少なかったが、きっとそれだけが理由ではないのだろう。呉先生は精神科医なので患者さんのおかしな言動に対して十分すぎるほど経験があり、スルースキルも卓越しているに違いない。そして「どうしてもこの格好で行く」とか言い張った森技官には悟りの境地に至ったに違いない。そういえば、あのときに借りたレンタカーはボロボロだったはずで、レンタカー屋に追加料金を支払ったのか、それとも保険に加入していたのかは怖くて聞けない。
「あれを摂取したおかげで精力がみなぎってきましてね。三回射精してもまだまだといった――」
 え?と思った。確かに祐樹が書いた偽の論文を医局の遠藤先生がデータなどをそれらしく作っただけで、実際の自然薯にそんな薬効はない。しかし、森技官を釣るためのエサとして©Kagawa Universityとミジンコの大きさで書いたのも事実だ。
「――そして、結局、恋人が悦楽のあまり失神するまで求めてしまいました」
 街灯の明かりの下、森技官の苦み走った男らしい顔は心なしかつやつやしている。
「時代は輸入に頼るマカよりも国産の自然薯です!京都大学で研究されているのですよね?ですから、これを持参したのです」
 森技官は上質そうな革のカバンを開けて「厚生労働省」と書いてある封筒を取り出した。
「科研費の上乗せ用の書類です。金額は勝手ながらこちらで決めさせていただきました」
 恐る恐る封筒の中身を見ると、ゼロが並びすぎていて救急救命室で消耗しきった脳では数えきれなかった。
「えと。二億円ですか……?」
 多分そうだろうと思って聞いてみる。
「いえ、二十億円です」
 その数字の大きさにめまいがして倒れそうになった。冗談半分で論文をでっち上げた祐樹が悪いのは自覚しているものの、自然薯研究を真面目にしたとしても成果はきっとゼロだ。二十億円という途方もない金額にゼロを掛けてもゼロになるのは中学生でも知っている。きっと遠藤先生が書いた論文の出来があまりにもよかったために森技官にプラセボ効果が起こったに違いない。
 祐樹と最愛の人も自然薯を掘った日に「鮮度が大切ですよね」と言ってその日に食べたが、そもそもそんな論文の存在を知らない最愛の人も、捏造した論文だと知っている祐樹も性欲がみなぎってはいない。「楽しかったし、美味しかったな」などと言いながら愛の交歓はせずに眠りについた。
「遠慮には及びません。バイアグラに勝るような薬を作るための必要経費です」
 森技官は勝手に話を進めていく。遠慮などは全くしていないし、むしろ我ながら頭の回転が悪いのを自覚しつつ必死で打開策を練っているだけだ。山中教授が発見したiPS細胞のように医学会に劇的な効果が見込めるならまだしも、森技官にしか効果がない物の研究に国民の税金が原資の科学研究費を二十億も使うなど許されることではない。しかし、森技官に「あれはでっち上げただけの嘘です」と今さら言えない。
「一応お預かりして、研究の当事者に聞いてみます。今日は血でぬるぬる滑る床を走り回って救命術に勤しんでいたのです。そのため、かなり疲労していまして……」
 森技官は祐樹から五歩ほど離れて祐樹の足――特に靴を――冷や汗を垂らしながら見ている。病院でシャワーも浴びたし、着替えもしたというのに、森技官の血液アレルギーは重度だ。祐樹が血の話題を出したのは、もちろん「悪霊退散」ならぬ「森技官退散」のお札のつもりだ。
「では日を改めます。おやすみなさい」
 森技官は、「鬼退治アニメ」の鬼が日光から逃げるようにそそくさと車に乗り込んだ。

―――――

このお話は、「自然薯掘り」編のおまけです。
筆が乗るまま書いてしまいましたが、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

なお、若干体調を崩しておりまして、10月7日の更新はお休みをいただくかもしれません。
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