キャリア官僚サマらしく黒塗りのクラウンなのはまだ想定内だったが、どこをどう走ってきたのか、うっすらと灰色の砂みたいなものが車体全体を覆っている。それにバンパーがぐしゃりとひしゃげている箇所と、白い擦り傷がついて樹脂の下地が覗いている部分があった。前者は低速でガツンとどこにぶつかったのだろう。後者は擦ったに違いない。しかも「わ」ナンバーの車なので、レンタカーだ。保険に入っていなければ……と考えた瞬間その脳の回路を強制終了させた。
「祐樹、呉先生の具合が悪そうだ」
車好きな祐樹はついついそちらばかり見ていたが、最愛の人は車の免許すら持っていないし興味がない。
「本当ですね。様子を診に行きましょう」
レンタカーを借りるときにはこんな惨状であったはずがなく、道中であちこちぶつける酷い運転をしたようなので俗に言う車酔いだろうなと見当をつけて最愛の人の後に続いた。
「祐樹、森技官の服、あれは最新の登山用なのだろうか……?」
隣を足早に歩む彼が途方に暮れたような表情と口調だった。黒っぽい服を着ているな、としか思わなかったが、よくよく見るとなんと潜水服だった。
「何故山に入るのに潜水服なのでしょう?」
祐樹も彼同様に途方に暮れた気分だった。もしかしてあの恰好でレンタカー屋に行ったのだろうか?
「こんにちは。道中お疲れ様です。呉先生の顔色が悪いようですが、どうなさいました?」
森技官の恰好については突っ込む気力すら雲散霧消する破壊力を持っていたのでスルーしよう。そして、この「道の駅」を含め、他人のいる前で車から降りさせないように努めたい。最悪は他人の振りをして乗り切ろうと決意を固めた。
「こいつの運転が滅茶苦茶で、すっかり酔ってしまいました。あ、トイレに行きます」
ドアを開けた呉先生は脱兎の勢いでトイレに向かった。俗に言う車酔いは医学用語で「動揺病」と呼ばれる。嘔吐も伴うことからトイレに駆け込んで吐いているのだろう。
「祐樹、こういう場所だから動揺病の薬は置いてあるはずだ。買ってくる。森技官、水はお持ちですか?」
最愛の人も潜水服はスルーすることに決めたのだろう。怜悧な顔で質問している。
「いえ、持っていません。パリ・ダカール・ラリーふうに走ってみたのです。水分補給は途中のレストランで済ませました」
……森技官の言葉に文字通り眩暈を覚えた。今はダカール・ラリーというレースは確かに過酷な道を走ることで有名だ。しかし、京都市内からこの山までは過酷の「か」の字もない。悲惨なのはドライバーの腕前だ。そして医師免許を持っているはずの森技官は、持っていなくても常識で分かる車酔いを知らないらしい。だから、恋人がトイレに行ったのも小用を足すためとでも勝手に考え涼しい顔をしているのだろう。しかもその上、レストランに寄ったのか?その恰好で?と思わず天を仰ぎたくなった。
最愛の人は真剣な顔で頷くと売店に向かって早足で歩いていっている。作業着を着ていても涼しげな雰囲気をまとっていて、すぐに店から出てトイレに向かっている。きっと店内に薬はあったのだろう。エビアンのボトルも、彼の美しい手によく似合っていた。呉先生は最愛の人に任せて祐樹は森技官の説得をしよう。この山は二度目なので、この先の道が狭くなることとアップダウンがあることは知っている。これ以上、レンタカーを壊してしまったら最悪レッカー車だ。
「その大きくて豪華な車は森技官にものすごくお似合いですが、アスファルト道路を走行するために作られた車です。山道を走るようには出来ていないので、この駐車場に停めて私の車で現地に向かいましょう。私達の目的はマカをしのぐ精力剤を入手することですよね?」
森技官はキリっとした眉を寄せて考えているようだったが、数秒後広い肩を竦めて頷いた。言葉にはしないが運転能力の限界を自覚していたのだろう。
「私も飲み物を買いに行きます」
窓越しにそう言われ、思いきり首を振った。
「天下国家のために日夜粉骨砕身してくださっている官僚様は、車の中で休んでいてください。私が買ってきます。何がいいですか?」
森技官は法案を作るときでもこんな顔はしないだろうと思えるほど苦渋に満ちた表情だった。
「ポカリスエットかアクエリアスをお願いします」
その意外な選択にピンときた。森技官は自分の運転で車酔いをしているのだろう。動揺病を起こしやすい人でも自分で運転すれば平気というパターンが圧倒的だ。しかし、この傷だらけの車は相当乱暴な運転をして自らが酔ってしまったのだろう。笑いをこらえて頷いて自販機に向かった。
「祐樹、呉先生はもう落ち着いたようだ。薬が合ったのだろうな」
最愛の人の横に佇む呉先生は、祐樹に向かって頭を下げた。
「あのう、アイツが運転する車に乗っていたら命がいくつあっても足りません。田中先生の車に乗せていただけないでしょうか?」
やっぱりそうだったかと宥める笑みを浮かべた。
「この先はあの車では行けない道だと説明して、四人で私の車に乗って向かうことになりました」
呉先生は干天の慈雨に打たれたスミレのように笑っていた。アクエリアスを買って元は黒いクラウンに戻った。それにしても、呉先生は長袖のシャツにジーンズという軽装なのに、なぜ森技官は潜水服を着ているのだろう?
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すみません。またしても終わらず(泣)前後編のつもりが中編を挟むことになりました。努力目標は本日中の後編をアップですが、万一間に合わなければ明日になります。お付き合いくだされば嬉しいです。
こうやまみか拝
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