「気分は下剋上 月見2025」4

月見2025【完】
📖 初めて読む方へ: 登場人物相関図はこちら
This entry is part 4 of 25 in the series お月見 2025

 最愛の人は部下思いなので、真っ先に久米先生の話題が出てくると祐樹は予想していた。しかし普段以上に食べるのが早い彼はよほどお腹がすいていたのだろう。
「執刀経験を積ませたほうがいいと思いますが、手術室はキャパオーバーですし、普通の手術時間では貴方が付きっきりで指導するなどは不可能ですからね」
 最愛の人は人参のグラッセをフォークに突き刺して思案顔だ。手術室が空いていないのはある意味仕方ないし、今考えてもいいアイデアは浮かばないので、話題を変えようとしたら、薄紅色の唇が花のように開いた。
「久米先生が祐樹のように東京に行くなら岩松氏に頼んで執刀経験を積ませることも出来るのだが、厚労省行きの口実がないのが痛いな……」
 そもそも厚労省に彼が行くことに決めたのは、祐樹が幹事を務めた医局の慰安旅行の日程と旅館が厚労省ご一行様とバッティングしていたからだ。宴会会場もふすまを隔てて隣で行われる予定だったと後で聞いた。大学病院の医師は祐樹を含め厚労省に敵意を持っている。アルコールが入った宴会場で、隣の部屋の会話を聞いたら厚労省ご一行だと即座に分かるだろう。ふすま越しに罵声を浴びせるだけで済んだら儲けもので、最悪の場合暴力沙汰に発展する。幸いというべきか、運が悪いというべきか、宴会場には小さな鍋の火や大きなお皿、そして串焼きの串などの「武器」には事欠かない。それにあの宴会場には揚げたての天ぷらを食べさせるために油まであった。そんなものが飛び交ったら確実に怪我人が出、警察沙汰になると危惧した最愛の人が事前に森技官との交渉に行って、今まで謝絶していた厚労省の委員会に出席する代わりに旅行の日程を変えてもらった。
 その後しばらくは彼だけが東京に行っていたが、厚労省のナンバー2に料亭に誘われて隣室に布団まで敷いてあったと聞いている。不幸中の幸いか無理やりキスをされただけだったが、彼の憔悴ぶりは思い出すのも辛いほどで、厚労省の内部事情に詳しい森技官の協力でナンバー2を失脚させた。その後念のために祐樹も同行していた。委員会は夜の七時から行われるのが通常だが、午前中に京都を発って午後は岩松氏の病院で執刀医としてのキャリアを積んでいた。表ざたには出来ないものの、ずいぶんと勉強になったものだった。ただ、それは病院長が天下の厚労省様に媚びへつらう態度だから可能だっただけで、久米先生が単独で東京に行くことには難色を示すだろう。
 最愛の人のボディーガードとして祐樹の代わりに久米先生という案もちらりと考えたが、久米先生も想定外のことに対応する能力は低いと言わざるを得ない。脳外科の狂気の研修医が起こした「夏の事件」で、最愛の人が拉致されたときも第一報が救急救命室に入った。祐樹は杉田師長の咄嗟の判断で救急車に載せてもらい京都駅に向かった。彼が拉致されたのは大阪だと分かっていたので、京都と新大阪間は新幹線が断然早かったのも事実だ。久米先生も救急救命室にいたが、動揺のあまり、何もない場所で転倒し、手で顔面や頭をかばうということまで忘れ果て顔からおびただしい血を出しながら医局に行って「久米先生までもが被害者になった!」とまるでヤクザの殴り込み直前のような騒ぎになったと後で聞いた。
 医局の不祥事を土下座で謝った当時の白河准教授がいなければ前代未聞の「病院内カチコミ」が勃発していただろう。それはともかく、久米先生に最愛の人のボディーガードは任せられないので、たびたびの東京行きは無理だろう。
「若手の外科医が執刀医になる研鑽というか実習があればいいのですが。または、比較的難易度の低い手術のときに、国際公開手術のように、リカバリー医として私が控え、久米先生に執刀を任すというのが現実的だと思います」
 最愛の人は銀色のナイフとフォークを置いて居ずまいを正した。
「祐樹、正式にそれを頼めるか?」
 祐樹も食事の手を止めて向かいに座る最愛の人の怜悧で端整な顔と澄んだ光を放つ綺麗な目を見た。
「もちろんです。久米先生のポテンシャルは素晴らしいと思っています。それを医局全体で育てる義務がありますよね。国際公開手術の招待状が来るようにびしびしとと指導します。貴方もそう願っていらっしゃるのでしょう?」
 最愛の人の目の煌めきが強くなった。
「本来ならば、それは私の役目なのだが……」
 純白の白衣に包まれた肩を竦めている。
「仕方がないですよ。貴方の手技は世界中から患者さんが押し寄せていますよね。難易度も高い手術がほとんどなので、久米先生が貴方のレベルに達するまで私が指導します」
 最愛の人は春の日だまりに咲く桜の花のような笑みを浮かべた。
「ではよろしく頼む。黒木准教授や柏木医局長にもその旨伝えておくので」
 ステーキを食べ終えて柚子のシャーベットを口に含む。
「そういえば、久米先生が『若手の外科医の集まり』の日はアクアマリン姫と温泉でお月見をする予定だったのにと嘆いていましたよ」
 彼は涼やかな目を見開いた。
「そうなのか?温泉でお月見……。それはとても残念だな。チケットはあるのだろうか?」
 そういえば祐樹が久米先生から一時預かってポケットに入れたことを思い出し、取り出して最愛の人に見せた。

―――――

もしお時間許せば、下のバナーを二つ、ぽちっとしていただけたら嬉しいです。
そのひと手間が、思っている以上に大きな力になります。

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村

小説(BL)ランキング
小説(BL)ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村

PR ここから下は広告です

私が実際に使ってよかったものをピックアップしています

Series Navigation<< 「気分は下剋上 月見2025」3「気分は下剋上 月見2025」5 >>

コメント

タイトルとURLをコピーしました