「気分は下剋上 知らぬふりの距離」39

「気分は下剋上 知らぬふりの距離]
This entry is part 60 of 64 in the series 知らぬふりの距離

「……ウチの同居人は実家が産婦人科クリニックだったのです。しかし、クリニックと家が割と遠かったことや、医師でもない男性が産婦人科クリニックに出入りすると妊婦さんも嫌がりますよね。だから産婦人科では出産が最も流血の多い分野だということを知らずに東大医学部に入学し、愕然としたみたいですよ。後継ぎとして期待されていたのに、産婦人科医になったらメンタルがもたないと判断し、『この国の医療を変える!そのために厚生労働省に入るので、家は継げない』というある意味コペルニクス転回のような発想で両親を黙らせたらしいです。幸いなことにお姉さんもいらしたので、同居人の実家はお姉さんが跡継ぎということに決まっています」
 呉先生の説明に夏輝は曖昧な感じで頷いている。
 詳しいことは知らないが、森技官とお姉さんは犬猿の仲で、そしてそのばっちり・・・・が呉先生にも及んでいるようだった。呉先生が相談してくれたら祐樹だって森技官のお姉さんへの意趣返しを考えるが、今のところはそういう話題になっていない。
「森技官は確かに医師としてはやぶ医者どころか土手医者ですけれども……」
 最愛の人は美味しそうにマロングラッセを口に運んだ後に祐樹の白衣をさり気なく掴んだ。
「祐樹、やぶ医者という言葉は知っているが、土手医者というのは初耳だな……?」
 呉先生も夏輝も興味津々といった感じで祐樹を見ている。
「藪になるにはある程度の土地も必要ですよね?その点土手は川辺の限られた土地なので、草や低木などしか生い茂ることもできないのです。ヤブにもなれないので『土手医者』と命名しました」
 祐樹の言葉に噴き出したのは夏輝だった。そこから笑いが伝播し、最愛の人は白い薔薇のような笑みを、そして呉先生はスミレの花のような可憐な笑みを浮かべている。
「もっとも、森技官は有能な官僚ですよ。本気で医療改革にも取り組んでいますし、将来は『独身の事務次官を目指す』と言い切っていますし、周りも『そうなるだろうな』というのが共通認識です」
 祐樹は森技官の性格はともかく能力は認めているので、一応フォローに回った。
「あの、えと……事務次官って、大臣の秘書みたいな人ですか?」
 夏輝は首を傾げたリスといった愛らしさだった。とはいっても祐樹は愛らしさより最愛の人のような華麗な美しさに惹かれるので下心はまったくない。
「ああ、そう解釈も出来そうですが、大臣は国会議員の中から選ばれますよね?政権を担っている党限定ですが。国会議員は選挙に落選してしまえば一般人ですが、官僚はずっと公務員です。事務次官はその下にいる一番偉い役人が事務次官です。大臣の補佐をしつつ、行政の実務を取り仕切る事実上の最高責任者です」
 祐樹の説明に夏輝は感心したような表情を浮かべている。
「じゃあ、上級国民なんですね。すごいです……」
 ネットでは揶揄を込めて使われる言葉だが、夏輝は素直に尊敬したように声を上げた。夏輝はネットを見るよりも以前は出会いを求めてゲイバーに通っていたらしいし、今は専門学校の課題や美容師甲子園出場、そして英語の勉強というリアルで忙しいのだろう。だからネットを見る暇がなくテレビでチラッと聞いた知識を披露している。
 呉先生はそんな夏輝のことを、棘を失ったスミレのような笑みを浮かべて見ている。呉先生は森技官の激務ぶりを間近で見ている。最愛の人と祐樹が「巻き込まれた」ときだって、足の爪を折って皮膚にめり込んだにも関わらず厚労大臣の失言を受けて、局部麻酔をしてまで東京に戻り、事後処理に当たっていた。だから、そういう苦労も知らず揶揄されがちなことを苦々しく思っていて、夏輝の感嘆はむしろ嬉しいのだろう。
「ウチの病院もそうですが、厚労省などのお役所も昔ながらの価値観がまかり通っています。妻帯者のほうが出世は早いですし、夫婦仲が冷え切っても離婚すれば出世に不利になるので仮面夫婦が多いらしいですよ。『省内初の独身の事務次官』を目指すというのは、呉先生と一生を共にしたいため、敢えて苦しい道を選んだということです」
 夏輝に解説したが、何だか森技官を手放しに誉めてしまっているような気がして「仲の良い喧嘩友達」という関係性から逸脱しているような気がして背中にオナモミの実、幼い頃はくっつき虫と呼んでいたが、それが張り付いたみたいな後味を覚えた。
「田中先生が同居人を褒めるなんて、明日は大雪が降るのではないでしょうか?」
 呉先生が柔らかに笑っている。
「こんな季節に雪が降ったらそれこそ異常気象ここに極まったという感じですよね。そこまで地球環境が損なわれているとは思っていませんが?」
 しごく真面目な顔でそう言った最愛の人は言葉通りに受け取っている点が笑える。
「え?雪が降るって珍しいことを言ったときの比喩?というか、からかいの言葉じゃないんですか」
 冬眠から不意に覚めたリスのような困惑の面持ちだった。もっとも、祐樹は、日本にいるリスが冬眠しないことくらい知っている。
「え?気候の話ではなかったのですか……?」
 最愛の人もにわか雨に降られた白薔薇のような驚きの表情が逆に面白い。

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