「気分は下剋上 知らぬふりの距離」22

「気分は下剋上 知らぬふりの距離]
This entry is part 28 of 29 in the series 知らぬふりの距離

「ストレッチャー押し、手伝いますよ?」
 有瀬さんの身体を処置台から下ろし、看護師の伊藤さんが待ち受けているストレッチャーに載せた。
「いえ、大丈夫です。香川外科大変なんですね。まあ、ウチが凪の時間で良かったです。こちらがバタバタしている時だったら……」
 杉田師長がつかつかと歩み寄ってきた。
「田中先生、ウチの伊藤を割くんだから、ちゃんと香川教授に恩を売っておいてね。バックヤードから迎えに来るのが常識よ、じょ・う・し・き!田中先生も伊藤も香川外科に行ったらさっさと帰ってくるのよ?あっちでは香川教授まで居るんだから人手は足りてるでしょ?」
 救急救命室は病院の出島とも治外法権とも言われている。そのため、情報があまり入ってこないはずなのに、杉田師長が最愛の人が病院に再び来たことを知っているのは不思議だった。
「師長、何故そんなことをご存知なのですか?香川外科に特別なルートでも持っているのですか?」
 有瀬さんの容態は安定しているのでつい安心し、余計なことまで聞いてしまった。
「あははは。そんなのは、ないわよ。柏木先生があんな大きな声で話していたら誰だって聞こえるわよ。じゃ、有瀬さんのことは宜しくね。さてと、これでミッションコンプリート!さ、救急車よ!これからもどんどん運んできてね。救える命じゃなくてもこの杉田が救ってみせるから!」
 さすが救急救命室の天使や法律と異名を取るだけのことはあるなと感心した。その闘志はいったいどこから来るのか?と思ってしまう。彼女の、病人や怪我人を救うという使命感は、そこいらの医師よりも強い。
「深夜の病院ってなんだか独特ですね。あ!あそこに人影が……」ストレッチャーを一緒に押していた伊藤看護師が震える声で言った。
「ああ、昼に熟睡してしまった患者さんですかね?椅子に座っているだけで別に暴れてもいないので大丈夫ですよ。幽霊ではなくて生きた人間です」
 必要以上に身体の距離を詰めてくる伊藤さんのバストが、祐樹の腕に当たりそうだ。これは、あの老婆を怖がっているのではなく、祐樹との身体的接触を狙っているのではないかと勘繰ってしまう。久米先生だったら鼻の下を思いっきり伸ばしそうだが、あいにく祐樹はどんな巨乳よりも、最愛の人の笑顔のほうが大切だ。救急救命室ではDOAつまり、亡くなった後に到着する患者さんもいれば、蘇生術も虚しくお亡くなりになる人も多い。そういうときには霊安室に運ぶのも基本的には看護師の役目だ。そちらのほうが不気味だと思うのは祐樹の偏見ではないだろう。
「お疲れ様です。患者さんを運んできました。柏木先生からバイタルやMRIやCTなどがすでにこちらに来ていると思いますが」
 三好看護師が、ああといった表情を浮かべている。
「その連絡は受けています。308号室に準備はできていますので、そちらに運んでいただけますか?」
 そう言いおいて早足で遠ざかっていく。
「本当にバタバタしているんですね。いつもこんな感じなのですか?」
 いわゆる「出島勤務」の伊藤看護師は不思議そうだった。
「いえ、香川教授に代表されるように普段は静謐な雰囲気ですよ。私が宿直の時だって、救急救命室のほうがはるかに慌ただしいです」
 言われた通り308号室に有瀬さんを運んだ。
「杉田師長が怒らない前に伊藤さんは帰ったほうがいいかと思います。私は、有瀬さんのこと、そして医局が何故こんなにバタついているのかを柏木先生に報告しないといけないのでもう少しここに残ることにします」
 救急救命室近辺は救急車のサイレンの音で搬送が分かるが、この新館は患者さんの安眠のためか静寂に包まれている。そのため、救急救命室がどうなっているのか誰も分からない。そういう点も出島と呼ばれる理由の一つだ。
「ゆ……田中先生」
 最愛の人が304号室から出てきた。
「香川教授、304号室の患者さんに何が起こったのですか?」
 最愛の人は、昼間と同様に純白の白衣にスーツ姿という、いつもの恰好で現れ、その姿に思わず見惚れてしまった。しかし、続いて出てきた長岡先生の姿に絶句してしまった。凝ったレースがふんだんにあしらわれているとはいえ、どうみてもパジャマにしか見えない。幸いなことに素材はコットンではなくシルクで、好意的に解釈すれば、ベトナムかどこかの民族衣装に見えなくもない。
「田中先生、お疲れ様です」
 彼女は上品かつ優雅に頭を下げていたが、どうしても着ている物が気になった。
「304号室の藤原さんが……、ここではまずいので、医局で話そう」
 最愛の人は就寝中にたたき起こされたはずなのに、切れ長の目は普段と同じく怜悧な眼差しを宿していた。医局のドアをスライドさせると黒木准教授と遠藤先生がパソコンの前で何やら話していた。「藤原さんの手術のリスケ……」などといった声が漏れている。
「香川教授、藤原さんの容態はいかがでした?」
 黒木准教授が温厚そうな顔をした眉間の縦ジワが、事態の深刻さを物語っている。
「ナースコールが早かったせいと、長岡先生が来てくださって、利尿薬やニトログリセリン、そして強心薬を適切な量だけ投与したので何とかなった。今は補助循環装置と人工呼吸管理中です」
 黒木准教授も遠藤先生も安堵した表情を浮かべた。
「藤原さんは急性心不全でしたか」
 それだと安易な手術は出来ない。

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