「気分は下剋上 叡知な宵宮」26

「気分は下剋上」叡知な宵宮
This entry is part 26 of 29 in the series 気分は下剋上 叡知な宵宮

 理知的で端整な顔にやや硬質な微笑を浮かべた、よそ行きの顔の最愛の人の表情は熱意にあふれる心臓外科医という感じではないが、読者に安心感を与えるには充分だった。こうして祐樹とデートしているときには無垢で無邪気な笑みを弾けさせている最愛の人を見るのは最高の幸福だった。しかし、雑誌の写真はまるで別人のような感じが新鮮でいい。最愛の人の載った雑誌は医局でも皆が見ているが、祐樹も一冊買って私室にコレクションしているのは内緒にしている。
 それはともかく、チェックイン時の最愛の人のラフな格好や、ホテルの部屋で浴衣に着替えた姿にコンシェルジュが気付かないのも無理はない。職場では前髪を後ろに流して秀でた額がくっきりと見えるが、前髪を下ろしたプライベートな彼とでは全く印象が異なる。二歳下の祐樹と同年齢、もしくはもっと下に見えるのが実情だ。
「当ホテルはお気に召しましたか?」
 コンシェルジュの彼女は心配そうに最愛の人に八割、祐樹に二割の視線を割いて聞いてきた。
「もちろんです。特に扇型に部屋から見る川や、大阪府と奈良県の境の生駒山までの眺望がすばらしいです。私は京都市に住んでいますので、大阪はリッツカールトンまでしか足を伸ばさないのですが、あちらのクラブラウンジやスイートルームからの景色とは異なった大阪の魅力を堪能しています。それに、天神祭りの花火を特等席で眺めるロケーションもいいです」
 最愛の人はごくごく自然な笑みを浮かべて彼女に感想を伝えている。
「気に入ってくださってありがとうございます。もし来年もご利用いただけるなら、同じタイプのお部屋をご用意いたしますが、いかがでしょう。実は……」
 彼女は思わせぶりに言葉を切った。そういえば、リッツカールトン大阪でも予約サイトに載っていない部屋に案内されたことがある。きっとこういうホテルでは、コネ枠や常連枠のような特別な部屋があるのだろう。コンシェルジュの女性にノルマがあるのかまでは知らないが、言外に「特別な部屋を用意できます」と伝えたいのだろう。
 最愛の人は、「どうする?」と言いたげに祐樹を見上げている。祐樹が頷くと、先ほどよりは色が戻った薄紅色の唇を開いた。
「お願いします。曜日の関係で天神祭りに来られない年もあると思いますが、それ以外でも、例えば心臓外科学会を会議室で行って、理事だけの二次会は今使っている部屋と同じクラスの部屋で行うことは可能でしょうか?」
 彼女は最愛の人に上品な笑みを浮かべていたが、眼差しは先ほどよりも真剣さと、そしてどこか満足そうな光を宿している。
「もちろんでございます。私、小柳に申しつけてくだされば、何なりとご要望にお応えいたします」
 彼女はネームプレートを指先で持ち、最愛の人にかざしてみせた。小柳さんの上品な手つきを見ながら、もしかすると指名されたらボーナスなどの査定に響くのかもしれない。
「分かりました。小柳さんですね」
 最愛の人が確認すると、彼女は嬉しそうにお辞儀をしている。
「お席に案内いたします」
 いや、菅野さんに確認しなくていいのか?と内心ツッコミそうになった。ただ、菅野夫妻は入院したときに、よく話していたこともあって相席は断らないどころか大歓迎だろう。何しろ、ご主人は歩くだけで息切れをしていたのが、手術後はこうして夫婦で九州から大阪までの旅行も気軽にできるようになったのだから。九州では「殿様」と呼ばれるほどの名士だと耳にしたが、本人も奥様も気さくな感じの人だ。
「はい、お願いします」
 最愛の人が告げると、彼女はホテルのスタッフとしては少し不自然な弾んだ足取りでラウンジを横切っている。その後ろについていった。
「おくつろぎのお時間をお邪魔してまことに申し訳ありません。菅野様、ご相席をお願いしてよろしいでしょうか?」
 彼女がうやうやしく声をかけると、菅野氏はムッとした表情を浮かべた顔をこちらに向けた。やはり、先に声をかけておくべきではなかったかと祐樹は苦笑しそうになった。しかし、菅野氏は最愛の人と祐樹を認めると、仮面をつけかえたように満面の笑顔になった。奥様はわざわざ立ち上がり、深々とお辞儀をしてくれた。
「これはこれは、香川教授と田中先生ではありませんか。どうぞどうぞ。それにしても奇遇ですね。あの手術は素晴らしいと九州のヤブ医者すら絶賛していました。九州でも経営者の集まりがありましてね。心臓のことなら、香川教授に相談しろといつも皆に言っています。いやあ、教授の手術後は、一生できないと諦めていた剣道のできるようになって本当に毎日が充実しています。その節はありがとうございました。教授と田中先生も花火をご覧になるのですか?」
 あ、いちご飴で紅く染まった唇を菅野夫妻に見せてもいいのだろうか――と思った瞬間、ラウンジの照明が絞られた。花火があがる時間のようだった。

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