「気分は下剋上 巻き込まれ騒動」87

「気分は下剋上 巻き込まれ騒動」
This entry is part 13 of 25 in the series 気分は下剋上 巻き込まれ騒動

「なるほど、恐怖政治ですか?医局員を締め上げれば締め上げるほど反発は大きくなるのです。田中先生、梶原先生と早急に知り合いにならなければなりませんね。また、清水研修医は腹も据わっていそうな人ですので、一度お会いしたいです」
 テキパキと指示を出す森技官はすっかり仕事、いや権謀術数モードに入っている。「君主論」を書いたマキャベリは確かワイン農園を所有していたと記憶している。だからワイン片手に謀略を巡らすのは絵になるが、森技官が持っているのは湯呑みだ。ほんのり梅と昆布の香りが漂っている。それだけ見れば日当たりのいい縁側でミカンを食べていてもおかしくない長閑のどかな風景だ。ただ、梅昆布茶を啜りながらも頭の中では「策謀」という名の暗雲を巡らしている――その落差こそが、彼の本質だ。
 ちなみに祐樹と最愛の人はコーヒーではなくて紅茶だった。呉先生はこの面子の中で最も華奢な身体なのに吉野家の牛丼をとても美味しそうに食べている。
「清水研修医はもう一台スマホを買う予定だそうです。その後にご紹介します。スマホも抜き打ちで検査されることもあるようです。そのための予防策を講じないと駄目みたいですね」
 清水研修医も森技官に会いたがっていたので両者の対面はなるべく早いほうがいいだろうなと祐樹は考えを巡らした。
「さてと、恐怖政治を敷いているということはFacebookを見ても発見はないでしょうね。医局の皆は義理で『いいね』ボタンを押すでしょうから。いや、そうでもないか……」
 ブランデーグラスならぬ梅昆布茶の入った湯呑みをテーブルに置いてスマホを長く男らしい指でタップしている。
「清水病院長も友達のリストに入っています。そして斎藤病院長も……。まあ斎藤病院長は分かるのですけれども、清水病院長は何故友達になったかですよね。その辺りのことを清水研修医に聞いてくださいませんか?」
 森技官は水を得た魚のように生き生きとしている。先ほどまでは足の爪が割れた件を思い出し、秀でた額に脂汗を滲ませていた人とは思えない豹変ぶりだった。特に反対する理由もないので頷いた。
「教授会でちらっと小耳に挟んだのですが、清水院長と真殿教授は斎藤病院長つながりで仲がいいとのことです。清水研修医が精神科を選んだのも、お兄様が外科だからという理由ともう一つ、精神科を拡充したい目論見があってのことだとも聞いています」
 最愛の人は白く滑らかな頬に紅茶の湯気を当てながら思い出したように言った。
「仲がいいかどうかまでは分からないですよね。面従腹背なんて大学病院ではよくあることです……。しかし、調べてみる価値はあると思います。私の仮説が正しければかなり面白いことになると思いますよ」
 森技官の酷薄そうな薄い唇が意味ありげに吊り上がっている。「私の仮説」とやらはどうせ祐樹達には教えてくれないだろうなと諦めの境地だ。森技官の情報の蜘蛛の巣に、どうやら何かがかかったらしい。しかし、推理小説でも探偵役が最後まで考えを明かさないのと同様に森技官も絶対に口を割らないだろう。
「あー!美味しかった!真殿教授の回りがイエスマンしかいないのって問題じゃないか……。それにさ、恐怖政治で皆を縛っていたら精神科自体の進歩なんてないだろう?オレ、いや私もそこまで精神科がひどくなっているのを知らなかったのです。不定愁訴外来という小さな城にこもっている間にそんなことになっていたとは……。香川教授や田中先生が動いてくださるのは本当に有りがたいですけど、当事者の私が何もせずにいるというのは気が引けます……」
 呉先生は弾む指先で「牛皿麦とろ御膳」の肉の上に紅ショウガを四パックも振りかけている。まあ、祐樹も救急救命室の凪の時間に久米先生や清水研修医がおでん・・・を買って「無料」で貰ってきた柚子胡椒をこんにゃくや大根にふんだんに使うので同じような感じなのだろう。森技官がウーバーイーツで頼んだ時に「ショウガ多め」とオーダーしたかどうかまでは分からないけれども……。
「せっかくパリ大学での招待講演を担当なさったのですから、これから出来得るかぎりの学会に出て顔を売るのが良いかと思うのですが……。専門外なので的外れな意見かもしれません」
 最愛の人が凛とした花のような雰囲気で言葉を紡いでいる。
「いえ、極めて有効ですね。また、厚労省の研究会にも講師として積極的に呼ぶようにします。医局クーデターは私に任せてください。貴方は名前をさらに売ることだけを考えてくだされば大丈夫です」
 既に精神科の学会に呼ばれ慣れている呉先生の知名度はかなり高いと思う。しかも真殿教授は精神科医学会からは無視されているので、なおさら京都大学病院の精神科としての看板は呉先生が背負っているような気がする。森技官はその基盤をさらに盤石にしたいのだろう。
「ちなみにですが、週刊誌にスクープとして載るようなことは避けた方が良いですよね?」
 森技官の顔は、生気に満ちていた。
「え?ウチの病院所属だということも当然記載されますよね?」  
 森技官は目的のためなら手段を選ばない。呉「教授」誕生のために、大学病院のマイナスイメージ程度は気にもしないのではないかと祐樹は勘繰ってしまった。

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村

小説(BL)ランキング
小説(BL)ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村
Series Navigation<< 「気分は下剋上 巻き込まれ騒動」86「気分は下剋上 巻き込まれ騒動」88 >>

コメント

タイトルとURLをコピーしました