「改めまして。ただいま帰りました」
唇を近づけながら挨拶をすると、最愛の人はくすぐったそうな笑みを浮かべ、キスをしやすいように花のような薄紅色の顔を横に向けてくれた。
「祐樹、お帰り」
その言葉を紡いだ唇に、祐樹は自分の唇を重ねた。
「それはそうと祐樹が鏡の前に佇んでいたのは珍しいな」
そこまで見られていたのかと思うと、何となく面はゆかった。
「ハロウィンの催し物、前回はキャラと年があまり変わらなかったので気にしていませんでしたが、今回は高専生時代の出来事ですよね。ですから肌が気になってしまって」
最愛の人は笑みを浮かべて祐樹を見ている。
「立ち話もなんなので、キッチンにでも行かないか?」
その提案には少し驚いた。いつもは祐樹が最愛の人の体温で温まったベッドに入るだけだったので。
「睡眠時間を確保しないと明日が辛いですよ」
ついつい心配したことが口に出てしまった。
「今夜は帰宅したときから何だか眠くて、いつもよりも二時間早くベッドに入って熟睡した。だから大丈夫だ。それよりも、祐樹、祐樹は疲れていないか?」
最愛の人がトロリとしたシルクの純白のパジャマのままでキッチンに立ち、牛乳を温めているようだった。
「疲れていないです。何しろDOAの患者さんの蘇生術が奏功したので、疲労感は吹っ飛びました」
午前三時過ぎなので、コーヒーに含まれるカフェインは避けただろう。
「そうか。それは嬉しいことだな。それはそうと祐樹の肌は少なくとも私は好きだな。頬もつるつるしているし、唇も見た目よりもはるかに柔らかい。皮膚科のことはあまり知らないが、実年齢よりも若い肌だと言われるのではないか?」
牛乳の入ったマグカップが祐樹の前に置かれた。バニラエッセンスを一滴落としたらしく、その香りをかぐと気持ちが安らかになる。
「私の唇、柔らかいですか?」
そんなことは自分で意識したこともなかった。そして祐樹の生涯で最も多くのキスを交わしている最愛の人のほうが詳しいだろう。お揃いのマグカップ――ウエッジウッドのもので桜のような花が描かれている、その中身を美味しそうに飲んでいた最愛の人が職人の手で描いたピンクの花よりも格段に綺麗な笑みを零している。
「下唇を指で挟んで引っ張ってみたらどうだ?」
特に拒否する理由もないので言うとおりにした。
「あ、痛くない程度でいい」
手の感覚でしか分からないが、おおよそ三センチは伸びたような気がする。
「目算だと三・八センチだな」
最愛の人の数多い特技の中に正確極まりない定規というのも含まれている。彼が言うなら三・八センチなのだろう。
「私の場合、こうだ……」
薄紅色の指と几帳面に切りそろえられた桜貝のような爪で下唇を引っ張っている。
「見ただろう?二センチくらいしか伸びない。唇の厚さはそれほど変わらないのに、そんなに伸びる。キスしても柔らかい感じが最高に好きなのだ。肌もすべすべだし、きっとコラーゲンやエラスチン、ヒアルロン酸を作る線維芽細胞が生まれつき優秀なのだろうな……」
祐樹は香りほど甘くない牛乳を一口飲んでから口を開いた。
「生まれつき優秀なのですか、その根拠は何です?」
皮膚科には、さほど詳しくないと言っていた最愛の人だが、祐樹などよりもよほど博識だ。
「先ほど挙げた物質を作る線維芽細胞は、睡眠不足や加齢、紫外線などが当たると不活性化するのだ。紫外線を毎日浴びる仕事ではないが、それ以外は当てはまっているだろう。それなのにまるで搗き立てのお餅のような弾力があるのだから線維芽細胞がいい働きをしているのだろうな……」
祐樹が、頬を指で挟んで引っ張ってみると確かに焼いたお餅みたいに伸びた。
「そうなのですね。鏡を見ながら男性用の化粧水を買うべきかと悩んでいたのです。夏輝の肌を見るとつやつやしていましたから」
最愛の人は珍しく逡巡したような表情だ。
「……祐樹が化粧用のコットンで化粧水を肌に叩いてなじませるという姿は出来れば見たくないな……」
え?と思った。
「化粧水はそうやって使うのですか?手のひらに出してパシャパシャと顔を叩くイメージなのですけど」
最愛の人は驚いた表情を浮かべている。
「そうなのか?私はドラマでそういうシーンを見たので、てっきりそういうものだと思っていた」
祐樹は、空になったマグカップをテーブルの上に置いた。
「そのドラマは女性がそういうお肌の手入れをしている場面ではなかったですか?」
それしか考えられない。いくら男性用のスキンケア用品がコンビニの棚にまで並ぶようになっても女性と同じ手順を踏むとは考えづらい。ゲイバー「グレイス」に来る「お姐さん」はどうだか知らないが。
「そうだ。あれが普通かと思っていたのだが違うのだな。ただ、祐樹の肌は夏輝さんと並んでもそんなに変わらないと私は思っていた。だから今回のハロウィンの役も、そんなに――ああ!」
最愛の人は思いついたように桜色の唇を一度閉じた。
「祐樹、口でしようか?」
ほのかに上気した滑らかな頬が初々しい。
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