「気分は下剋上 ハロウィン 2025」15

「気分は下剋上 ハロウィン2025
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This entry is part 18 of 18 in the series 気分は下剋上ハロウィン2025

 旧館は、この大学病院が設立されたときの本館だったこともあり、由緒と威厳を備えた建物だ。祐樹は来るたびに感心して見上げるのだが、今日はそんな心の余裕はない。ただ、すっかり時代の波に取り残された建物のため、人の出入りが極端に少ない。そのことが、今の祐樹にとって救いのように感じられた。
 不定愁訴外来の扉の前に着くと、ノックよりも先に耳を澄ませた。患者さんんらしき人の話し声はしなかったので、安心して分厚いドアを叩いた。そういえば、この扉の重厚さは、教授執務室よりも上かもしれない、などという感想を抱いたのも現実逃避の一環だと思うと、苦い汁を飲んだような気がした。きっと新館を建てるときよりも材料費が安かったのか、それとも国立大学の威信を示したかったのか、あるいはその両方だろうな――そんなことを考えていると、「どうぞ」という穏やかな声が聞こえてきた。
「田中先生、どうなさいました?私に何かお力になれることはありますか?あ、中村さん早めのランチに行ってくださいね」
 呉先生は専門家らしく祐樹の顔を見て何かを察したのだろう。この部屋には、看護師は一人しかいない。その中村看護師は定年近い女性だが、現役の看護師らしく、祐樹にキビキビと一礼すると診察室から出ていった。
「すみません。約束の時間よりもはるかに早く来てしまいましたよね。本題は私の恋人が来てからにしますが、呉先生にしか話せない悩みを抱えていまして」
 呉先生は、シワの寄った白衣をツバメのように翻しながら、コーヒーメーカーへと歩みを進めている。すぐに香り高いコーヒーの湯気が、祐樹の心を癒してくれるようだった。きっと呉先生もその意図をもって淹れてくれたに違いない。
「田中先生が私に相談する悩みは香川教授に関係することですよね」
 よく分かったものだと思ったが、血液が苦手な呉先生に手術のことは相談できないし、それ以外の悩みもないのは事実だった。
「そうです。ただ、私の恋人が何かをしたわけではなくて、悪夢を見てしまったのです……」
 コーヒーカップを載せたトレーを持った呉先生が、患者さん用の椅子に座った祐樹に近づいてきた。そのトレーには最愛の人も大好きな洋菓子店の焼き菓子も添えてある。
「甘いものを摂取するといいですよ。無理にとは言いませんが。悪夢ですか?それは具体的に伺ってもいいですか?」
 呉先生は陽だまりの中に咲くスミレのような穏やかな笑みを浮かべていた。落ち着いた口調だったものの、疑問形ではなくて話の先を促そうとしている感じだった。きっと患者さんにも同じような態度で接して、その感謝を込めたお礼がこういう焼き菓子なのだろう。全く嫌な感じがしないのは、祐樹としても話しやすい。
「ここだけの話でお願いします。そして、恐らく時間通りに私の恋人が来ると思いますが、絶対に秘密にしてください」
 秘密厳守は医師の基本だが、祐樹としては話題が話題だけに念を押さずにいられなかった。
「それはもちろんお約束します。あ、コーヒーも冷めないうちにお飲みくださいね」
 呉先生に促されて祐樹はコーヒーカップを傾けたが、世界で二番目に美味しいはずの味は、まるで感じられなかった。世界一美味なのは最愛の人が淹れてくれるコーヒーなのは言うまでもない。
「悪夢の具体的内容は、私の恋人が誰か知らない男と性行為に耽っているというものでした。――無理やりというわけではなく、私の恋人も、むしろ嬉々としている様子でした」
 毒をはくように告げた。夜に見た夢はもっと生々しくて、男性の欲望の楔が紅い門から出ていくと、白い液が泡立っていた。そして突き上げられるたびに背筋をしならせて深く飲み込もうとしているという悪夢以外のなにものでもない図、だった。視点が定まらず脈絡もないのは自覚しているが、夢とはそういうものだろう。
「――なるほど。念のためにお聞きしますが、恋人の不貞は疑ってないのですよね?」
 呉先生の穏やかな言葉は、質問というよりも確認という口調だった。
「それは疑っていません。いませんが――要因となる出来事はあったような気がします。今考えると、なのですが」
 呉先生は澄んだ眼差しで続きを促した。それに口に出して言ったほうが、幾分気も軽くなった。やはり呉先生に話してよかったと思うと、脳裏に再生された画像がピントを外した絵のようになった。
「具体名はまだ伏せますが、とある人と会う用事があったのです。二人でその男性と話したのです。その人が見事な筋肉でした。その腕を――ああ、この気温なのに半袖だったのです、それを恋人が感心したように眺めていて、ひょっとしたらそういう身体のほうが好きなのかもと思ってしまったのは事実です。しかし、その後聞いたところ、筋肉そのものを褒めた理由は恋愛感情などでは微塵もなくて、単に合理的だからということでした。ですから不貞などでは全くなく、ほんの短い間のちょっとした嫉妬だったと思います。そのもやもやとした気持ちを解消したのちに眠りについたのですが……」

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