「気分は下剋上 知らぬふりの距離」72

「気分は下剋上 知らぬふりの距離」
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「静謐な品格ですか……。准教授が香川教授にこれほど尽くしているのは、そういう理由があるのかもしれませんね」
 祐樹は、もっともらしく言いながら、ここにいるのが久米先生だったら、「ナースステーションにお菓子がたくさんあるようですよ」とでも言えば狂喜乱舞したカバのようにナースステーションに突進していっただろうに……と考えていた。
「ああ、それは分かるような気がします。教授がお通りになったら空気がなんていうか……変わるんですよね。涼しい風に吹かれたみたいな感じだったんです。僕は廊下にいたんですが、何だかお急ぎのようでした」
 それは祐樹が兵頭さんの件をナースステーションから相談の電話をし、その対応のために執務室から下りてきたときのことだろう。准教授は不思議そうに夏輝を見た。
「夏輝さんは教授をご存じなのですか?」
 ――まずい!夏輝の母が京都に帰ってくるまで容態説明をしないことくらい黒木准教授も職務の一環として把握している。この段階で教授職である最愛の人と夏輝に面識があるというのも思いきり不自然だ。
「実は、ですね。阪急・四条河原町駅で会っているのです。ちょうど前を歩いていた中年男性がいきなり胸を押さえて倒れた……そうでしたよね??」
 夏輝に念を押すように語気を強めた。
「ああ、そうなんです!」
 夏輝は舞台の上で台本を忘れた役者のような表情を浮かべていたが、祐樹のもっともらしい嘘をやっと思い出したらしい。
「専門学校でそういう講習もあるんです。『迷ったときには、ためらわずにAEDを使え』って言われたのを思い出して、必死で人工音声のアナウンスに従っていました。そこに香川教授と田中先生が運よく通りかかってくださいまして、『あとは私達に』って。そして教授に名刺をもらったのです」
 夏輝は祐樹が教えた台本を熱演していて、黒木准教授は「感心な若者だ」と考えてそうな表情を浮かべている。ただ、祐樹の本来の目論見である、黒木准教授立ち去りにはつながりそうにない。
「香川教授――確かに誰にも媚びないですよね。手技と存在だけで誰もが黙るという病院には稀有の人材です。あの静謐な存在感は、そういえばグレイス・ケリーに通じるものがありますね。田中先生のお言葉で腑に落ちたというか、私の感情の中にある言語化できない部分をきちんと説明してくださっていますよね。なるほど」
 いや、納得はいいから、早く夏輝と話したい。どこかに行ってほしいと思いながらもっともらしい理由を必死で考えた。
「――准教授、ここにいらしたのですか?探しましたよ?」
 遠藤先生の苛立ったような声が聞こえてきた。遠藤先生は本当に救いの神だ。祐樹が適当に書いた「自然薯に関する論文」をあの森技官でさえ信じ込むほどの出来栄えにしてくれたのも遠藤先生だ。
「教授執刀予定表の修正版を作成しました。そのチェックと手術室への連絡を至急お願いいたします」
 黒木准教授は、夏輝を温かい目で見、そして立ち去った。夏輝も深々とお辞儀をしている。
「夏輝さん、四条河原町の件を覚えていてくださって助かりました。少し医局がバタバタしていまして、時間があまりないのです」
 夏輝は「そうだろうな」という表情だった。空気を読むのに長けた夏輝には微妙な温度差もすぐに分かるのだろう。
「『グレイス』では」
 今度の夏輝は、周りを見回したうえ、声まで潜めている。またグレイス・ケリーの話を振ってこられたら堪らないと思っているようで、それは祐樹も完全に同意だ。
「あの店では、特に見られるために行くんですけど、それでも嫌な感じの人にジロジロと見られるのはちょっと引くというか……。店内では口説き禁止なんでいいんですが、トイレに行ったときに尻を触られることもわりとあります。鼻息なんかも荒くてキモいです。『もっと俺といいことしよう。どうせその胸のピアスも俺を誘っているんだろ』とか言われたら鳥肌が立ちます。『別にお前を誘っているわけじゃないんだ!バーカ!』と思っても、ゾッとしますね。いい感じの人というかイケてる人は絶対にそういうふうな誘い方しません。ホテルの部屋に入ってから『ずっと君とこういうことをしたかったんだ』とか言われたら僕も燃えます……。けど、厳選したはずが部屋にはもう二人いて……ってこともあったんで、僕もまだまだなんですけどね」
 夏輝はか細い肩を竦めている。
「嫌なことを思い出させてすみません。つまり、望まない人に性的な目で見られたり、触られたりするのは、嫌悪感しか抱かない、ということですよね?」
 夏輝は大きく頷いている。
「ありがとうございました。病院から患者からのセクハラを男女関係なく禁止するという決心がより一層強まりました。某科のメンズナースは女性患者からのセクハラ被害が顕著だそうで、彼らのことも救いたいと思います。こんな立ち入ったことを聞いてしまってすみません」
 祐樹が頭を下げると、夏輝は明るい笑みを返してくれた。その笑みはまるで、陽だまりに咲く白いスズランのように清らかだった。

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