「気分は下剋上 知らぬふりの距離」70

「気分は下剋上 知らぬふりの距離」
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This entry is part 97 of 100 in the series 知らぬふりの距離

「あのう、ナースステーションってだいたい何人の看護師さんがいるんですか?」
 夏輝の質問に少し面食らった。在籍者数なのか、それとも今いる看護師の数だろうか?
「三好看護師にお礼をされるのですよね。時間によりますが、最大で十五名です」
 夏輝がホッとしたような笑みを浮かべた。
「それはよかったです。田中先生とのお話が終わったら、百貨店に行ってケーキを十五個買ってきます。いや、余分を考えて二十個くらいがいいでしょうか?」
 生ものと聞いて看護師へのお礼にケーキを思いつく夏輝の機転に感心した。返答を待っているようで細い首を傾げて祐樹を見上げている。
「三好看護師に確実に手渡したら、それでいいと思います。患者さんやそのご家族からの差し入れは、その場にいる看護師に優先権があり、その後冷蔵庫に入れ、ケーキの箱に『誰誰さんからの差し入れ。良かったらどうぞ』などの付箋を貼るのです。要するに早い者勝ちということですね」
 そういえば呉先生が「この頃はケーキまで高くなった」と言っていたような気がする。物価上昇という記事は祐樹も読んだが、甘いものを買って食べるという習慣がないのでよく分からない。
「ケーキ十五個はわりと高価だと思うのですが、夏輝さんの無理のない範囲で構わないですよ。目標は三好看護師に確実に食べてもらうことですよね。だったら十個でも問題はないです」
 夏輝は、ほのかに微笑んで首を左右に振った。
「母から『お父さんがこんなことになって、夏輝も色々と物入りでしょう』と僕の口座に小遣いとは別に振り込んでくれています。それに病棟の看護師さんにも父は色々とお手数をおかけするのですから、やっぱり十五個買ってきます」
 夏輝のお母さまも行き届いた人らしい。夏輝と最初にあったゲイバー「グレイス」では「がらんとした家に帰りたくない」と言っていたような気がする。それが父・有瀬誠一郎氏の入院がきっかけでうまく機能し始めたのだろうか。
「そうですか。それならいいのですが……」
 何か重大なことを忘れている気がして内心で首をひねった。――精神科のメンズナースの川口さんと西さんからもらった果物かごを守護する久米先生の存在だ。久米先生はまるで太った弁慶の立ち往生とでもいうように果物かごを守護していた。多分今頃はメロンとマンゴーくらいは食べつくしているだろう。うっかりナースステーションに行って、ケーキが五個残っていたら――きっと一個だけでは済まない。「もう一個食べていいですか?」と言いながら手元に新たなケーキを引き寄せている未来が見えるような気がした。研修医とはいえ、ミスをしたわけでもないので看護師たちも「ノー」とは言いづらいだろう。
「『看護師さんだけで召し上がってください』と三好さんに念を押して渡してくださいね。医師と看護師は差別ではなく区別するべきというのが香川外科の不文律です」
 そんな不文律はないが、取り敢えず久米先生対策にはなるだろう。そんな祐樹を夏輝は感心したように見上げている。
「さて、本題なのですが、今病院の課題としてセクハラ問題が挙げられています。某科ではメンズナースが深刻な被害に遭っているという切実な声も届いているのです。私はあいにくそういった経験がないので、頭では分かっているつもりでも実感が全くなくて、夏輝さんにご意見を聞きたかったのです。あ!不快に思われたなら即座にノーコメントと言ってくださいね」
 センシティブな問題だけに念押しすべきだろう。
「別に構わないです。こっちにその気がないのに、性的な目で見られたり触られたりするのは嫌ですね。それが、たとえ『グレイス』でも」
 祐樹は人の気配を感じて、人差し指を唇に当てて夏輝に合図し、振り返った。
「黒木准教授、お疲れ様です。兵頭さんの件の予定変更ですか?」
 疲れたような表情の黒木准教授が気になって声をかけた。祐樹の問いかけに頷いた黒木准教授は、表情とは裏腹に温厚そうな目が輝いている。
「あ、黒木准教授、こちらは有瀬誠一郎さんのご子息の夏輝さんです」
 夏輝は怪訝な様子で「ジュンキョウジュ……」と呟いていたが、表情を改めてお辞儀をした。夏輝は今でこそ真面目に美容師専門学校に通っているが、夜遊びの場がゲイバーだった過去がある。ドラマなどではたびたび出てくる准教授という言葉を知らなかったとしても不思議ではない。「準教授」とでも勘違いしているかもしれないが、ここはスルーすべきだろう。
「初めまして。父が大変お世話になっています。夏輝と言います。ちなみに季節の夏に輝くと書いて夏輝です。八月の太陽のような人間になりたいと思っています」
 ――夏輝の自己紹介を何度か聞いたが、こんなにポジティブなのは初めてのような気がした。
「准教授って教授の次に偉いお医者様なのですか?」
 夏輝の無邪気な質問に黒木准教授は温和な顔に笑みを浮かべていた。
「偉くはないです。教授の単なる補佐役です。先ほどチラリと耳にしたのですが、『グレイス』ですか――」
 もしかして黒木准教授はゲイバーを知っている?そうなると、色々と問題が起こりそうな嫌な予感がした。

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