夏輝の父・有瀬さんの手術の予定が決まったことを祐樹が夏輝に告げると、細い肩から重い荷物を下ろしたような表情でほのかに笑った。
「ありがとうございます。執刀予定の香川教授にもお礼を言いたいんですけど、きっとご迷惑でしょうね……」
夏輝はそう遠慮がちな言葉だったが、表情は「お礼に行きたい」という熱意が垣間見えた。
「お礼ですか?教授はそういう格式ばったことは好まれないのです」
病棟の廊下での立ち話なので、祐樹も最愛の人のことは教授呼びだし、夏輝もそれを心得たように話している。
「ですから、呉先生をお呼びして――ここだけの話ですが、呉先生も教授も甘いものが大好きですし、コーヒーと洋菓子を四人で楽しむ会という趣旨でどうでしょう?」
呉先生が患者さんから大きな洋菓子をもらったことは祐樹もLINEで知っていた。呉先生はどういうミスをしたのか分からないが、最愛の人に送るLINEを祐樹に誤爆していた。そもそも祐樹も最愛の人も仕事でLINEを使う関係上、本名で登録しているのに、なぜ間違えるのか分からない。
「え!?いいんですか?教授執務室にまでお邪魔しても」
夏輝は好奇心に満ちたシャム猫といった雰囲気だ。祐樹は、呉先生に「教授執務室で夏輝を含む四人で一緒に頂きませんか?彼にはサプライズにして、いきなり持って来てください。呉先生も定時上がりですよね」とLINEを送信した。呉先生の誤爆LINEは「定時上がりの時間に一緒にこれを食べませんか?」という文面と大きな洋菓子の箱の画像だったのできっと呉先生も来るだろう。
「うわっ、これが教授のお部屋ですか?難しい本がいっぱいあってびっくりです。英語の本もこんなにたくさんあるんですね。僕も田中先生から英語習っていますけど、単語が難しすぎてさっぱり分からないです」
香り高いコーヒーを淹れていた最愛の人が夏輝の無邪気な嘆声に柔らかな微笑を浮かべ振り返った。そのウエストラインが絶妙で祐樹は見惚れてしまった。
「医学の専門用語ですから、夏輝さんは知らなくていい単語だと思います。ちなみに杉田弁護士の事務所もこんな感じですよ」
夏輝もゲイバー「グレイス」で会っている杉田弁護士とのギャップに驚いたのか目を丸くしていた。約束の時間きっかりにドアがノックされた。
「どうぞ」
最愛の人が怜悧な声を出すと呉先生が大きな紙袋を持って入ってきた。
「これ、患者さんからの頂き物ですけど、皆で食べたほうが美味しいかと思いまして。香川教授もお好きな洋菓子店のフィナンシェと『焼き栗モンブラン』の詰め合わせだそうです」
呉先生が差し出した箱を最愛の人は、嬉しそうに受け取って白く長い指で器用に開けていく。
「呉先生、八木さんの山に自然薯掘りに行ったとき、森技官の乱暴な運転のせいで車酔いなさっていましたよね。来年も自然薯掘りに行くと森技官は張り切っていますが、来てくださいますか?」
祐樹が適当に書き殴った論文――「自然薯はバイアグラよりも効果的」という内容にプラセボ効果を思いっきり発揮し、科研費二十億という莫大な予算まで背負わされそうになったせいで、祐樹の胃は生まれて初めて痛んだ。うまく言いくるめてその書類を森技官へと送り返したときには、祐樹の気持ちも秋の空のように晴れわたったのは言うまでもない。ちなみに、最愛の人に聞いたところ理屈屋で医療を信じるタイプには偽薬効果もてきめんに効くらしい。
「あの日、『お前も気持ち悪かったから、オレのことまで気が回らなかったのは仕方ないと思うけど、普通は恋人のことを気遣うもんだろう?今夜はこの家を出ていくか、牛丼三十杯奢ってくれるかの二択だ!』とビシッと言いました」
呉先生は可憐な野のスミレのような人だが、怒らせると怖い。病院での一人称は「私」だが、恋人の森技官と暮らす呉先生の通称「薔薇屋敷」ではオレになるのだろう。
「その条件なら、森技官は後者を選んだのでしょうね」
最愛の人が微笑みながらそう言い、トレーにウエッジウッドのコーヒーカップと呉先生が持参した洋菓子を形よく盛り付けた皿を持って応接セットへと運んできた。
「そうなんです。ただ、同居人はやたら『すき家』に誘うんですよね。なんでも、『わさび山かけ牛丼』にハマったらしくて、そればっかり食べています。『吉野家』の約束はちゃんと履行すると言ってはいますが」
夏輝は目をぱちくりさせている。
「呉先生は強いですね。僕なんて『いいな』と思った人には流されてばっかで……」
夏輝はため息をついて羨ましそうに呉先生を見ている。森技官の突然の宗旨替えの理由は一体どういうわけだろうと祐樹はスマホで検索してみた。
「流される、ですか?それは好きな人に合わせようとする気持ちは分かりますが、毎回聞いていたら逆に飽きられますよ!流されるなんてもってのほかです!夏輝さんは流しそうめんですか?」
呉先生はフィナンシェを持った華奢な指を振り回しながら夏輝に熱弁をふるっている。祐樹はこっそりと検索したスマホの画面を見て、胃が痛くなるような気がした。
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