「――祐樹、イノシシは本来臆病な生き物らしい。空腹時や、子連れのときは危険だとされているが、あれは一頭だけだ。また、この山で私が拾ったどんぐりや、二人で拾った栗も豊作と十分に言える量のはずだ。少なくとも飢えてはいない」
そういえば彼が山道で嬉しそうに集めていたどんぐりは彼のワークマンで買った作業着の大きなポケットいっぱいに入っていた。イノシシが栗やどんぐりを食べることは祐樹も読んだ記憶がある。栗もイガがいい感じに開いているものをたくさん拾ったがまだまだ探せばもっとあるはずで、彼の言うことは正しい。
「だから、私たちが下手に動いて刺激するよりも、このままでいて、向こうが勝手に逃げるのを待つという方法がベストだと思う」
最愛の人の怜悧で知的な声に祐樹の気持ちも凪いでいく。先ほどまで甘く艶めいた声を上げていた最愛の人はイノシシを見た瞬間に気持ちを切り替えて冷静に判断したのだろう。気持ちの切り替えの早さは優れた外科医の条件の一つだが、彼がそれを体現していることに感心してしまった。そんなことを考えていると、イノシシは反転して走り去っていった。
「良かったです……。『失楽園』の小説のラストのような愛の終末を迎えるのではないかと案じていました。あれはあれでロマンチックといえないこともないですが」
最愛の人は祐樹に抱きかかえられたまま、紅色の長く細い首を左右に振っている。
「あの作品、主人公は職を失い家庭も崩壊しただろう。ヒロインだって夫に離婚を迫られ二人で死ぬことを選んだ。私は職を失っても全く構わない。祐樹と一緒であればそれだけでいいのだ。祐樹とのこの関係が病院中に広まって皆に嘲笑され、病院を去ることになったとしても、祐樹と一緒ならどこででも生きられる。あの作品を否定するつもりは全くないが、個人的には、二人で生きていくという選択肢を選ばないのか全く理解できなかったな。主人公は再就職したらいいだろうし、ヒロインだって書道家という職業があるのだから、今までのような生活水準は保てないかもしれない。しかし、二人で生きていくくらいの最低限の収入くらいは確保できただろう?私なら四畳半のアパートに祐樹と暮らせるだけで充分だ……え?」
最愛の人の「二人で生きていく」という決意を聞いたら、祐樹の欲情と愛情の象徴が再び昂った。
「あれは、心中ありきの作品なのだと思っていますが、私個人としてはこうして聡と一緒に生きていければと思います。きっと聡とならば、四畳半のアパート暮らしも悪くないと思います……。いや、防音がしっかり施されていない建物が多いので、こういう愛の営みは不可能でしょうが……」
祐樹の腰の律動のままに揺れる最愛の人の肢体が凪いだ水面が台風でも来たかと思うほど激しく波立っている。そして、祐樹の灼熱の楔を深く突き入れるたびに上がる艶やかな声が、周囲の水を甘く染めていくような気がした。
「あ……っ、祐樹……。もう……っ」
切羽詰まった声が祐樹の身体の動きと同様に深く、浅く響いている。
「私もそろそろ限界です……」
深く繋がると極上の花園の奥の奥に密かに息づく熱いゼリーのような泉へと到達した。祐樹の先端部分の形を覚えるような動きをする無垢な淫らさを感じた瞬間に最愛の人の肢体がしなやかに反って、川面に真珠の熱い迸りを放っている。その真珠の煌めきに魅入られたように祐樹も耐えていた禁を放った。
二人して愛の交歓に耽っているうちに、つるべ落としのように日が暮れ、辺りは宵闇に染まっていた。
「聡、今回もとても良かったです。自然の中で愛し合うのは新鮮でした。しかし、貴方の艶姿を見ようとするイノシシが邪魔でしたよね。満天の星を二人で見たいとも思います。しかし、夜の道は危険なのでまたの機会にしましょう」
繋がりを解き、温泉に二人して浸かりながら紅色の耳朶にそう告げた。
「そうだな。シメジや栗もきちんと持ち帰らなければならないし……。モンブランが作れるほど栗が拾えて良かった。一応懐中電灯は持ってきたので大丈夫だろう。どこかのキャンプ場――できればバンガローに二人で泊まりたい。テントを張るというのもいいのだが、先ほどのイノシシのような闖入者が来るかと思うと気になって、祐樹に集中できない……」
最愛の人の声は星に先んじて煌めくような錯覚を覚えた。
「そうですね。今度はバンガローに泊まりましょう。――そして、どんなことがあっても二人で生きていきましょう。はい、約束の印です」
祐樹が小指を差し出すと、最愛の人は花よりも星よりも綺麗な笑みを浮かべ、「指切りげんまん」をするために小指を差し出してくれた。
<完>
―――――
無事に<完>の文字を打つことが出来て良かったです。途中体調不良でお休みしてしまったので、予定が狂ってしまいました……。タイトルの「○○」には読者様が好きな文字を考えてくださればいいなと思い、敢えてこういうタイトルにしました。さて、今後の予定ですが、「ハロウィン2025年」を中編で、そしてSPで「教授執務室のお茶会」二話は確定しています。読みにいらして下さると嬉しいです。
こうやま みか拝
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