「気分は下剋上 知らぬふりの距離」68

「気分は下剋上 知らぬふりの距離」
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This entry is part 95 of 100 in the series 知らぬふりの距離

 そんな祐樹の前に柏木先生が立っていて、「お疲れ様」というように肩をポンポンと叩いた。
「田中先生、久米先生のぜい肉のおかげで命拾いしたって!?やっぱり抑うつ患者は何をするか分からないから怖いよな」
 柏木先生も精神科に苦手意識を持っているらしい。そういえば学生時代、同級生だった最愛の人に精神科のレポートは全て丸投げして「優」をもらったと言っていた。最愛の人が提出したレポートとは内容も切り口も全く異なった優れた内容だったらしい。もしかしたら、柏木先生の精神科の知識は、祐樹が自力で書き上げ「良」だった祐樹よりも、下かもしれない。
「そうですね。兵頭さんは病室のベッドの上でまるでお地蔵さんみたいに身じろぎしないので、近づいていくと目はうつろでした。話しかけても返答はせず、まるで『虚無の眼差しのお地蔵さん』のようでしたよ。自死の恐れがあるという教授通達で病室を変えようとしたらいきなり物凄い力で吹っ飛ばされました。たまたま久米先生が身を挺して庇ってくれなかったら階段を転げ落ちていたかもしれません。久米先生、そして久米先生のぜい肉には、心の底から感謝しています」
 それはそうと久米先生は何故私のデスクに太めの守護神みたいに立っているのだろうか。何かのドラマで見た『弁慶の立ち往生』にも似ている。それは美化しすぎかもしれない。太めの弁慶のような気がする。
 柏木先生は爆笑している。そして祐樹の声が聞こえる範囲の医師達も肩を揺らして笑っていた。どうやら、香川外科の医局員は祐樹も含め、山先生が言った「心は風船のようだ」という説では、医局員たちは、まるで空気が心の風船に充分入っていて、弾力のある風船のようだと祐樹は感じた。
 ああ、そういえば美山医療センターに勤務する山先生のことを呉先生に聞き、医局スタッフに迎え入れてもいいという判断なら森技官に言って貰わなければならない。森技官も優秀な精神科医を集めているらしいが、彼の母校の東大出身の医師が多いと予想される。ウチの大学病院では、よその大学病院から来た医師は「外様」と呼ばれ、何かとやりにくい。祐樹は生粋の病院育ちなのでそういう白眼視は全くされていない。ウチの大学病院だけがよそ者に冷たいのか、他でもそうなのかまでは知らないが、京都の土地柄として「よそ者を警戒して接する」という風潮があるのでそのせいかもしれない。
「香川教授が『全ナースに兵頭さんが自死する恐れあり。全力で注視』という通達を出しました。医局の皆さまもご協力いただけたら幸いです。教授は『患者さんの生活の質を向上させて笑顔で退院させるのが心臓外科の責務だ』ともおっしゃっていました。抑うつ状態で発作的に自死をしようとし、今回は事前に防げましたが、香川外科から自死などという最悪の事態が起こらないように皆様も気を配っていただけると嬉しいです。今回のケースでは三日前から看護師に対して返答がなかったり食事を摂らなかったりとの予兆があったのですが、私には普通に接していたので今日まで気付きませんでした。その点は忸怩たる思いなのですが、皆さんに同じ轍を踏んで欲しくないのです。私を含め、看護師との情報共有も今以上にすることをお勧めいたします」
 医局全体に聞こえるようにと声を張った。皆は了解したという様子で頷いてくれた。「よっ!香川教授の懐刀!」などの声も聞こえてきた。精神科のメンズナースも感心したあの「開かずの間」についてはまだ伏せておくほうが良いだろう。医師の緊張感を適度に高めるためだ。
「そうだな。救急救命室で躁状態の患者さんが運ばれてきたが、ものすごい勢いで暴れて、その場にいた医師三人でやっとのことで押さえつけ鎮静剤をやっと打てたからなぁ……。今は、兵頭さんはどうしているんだ?」
 柏木先生の疑問ももっともだった。
「香川教授、教授が依頼した、不定愁訴外来の呉先生の二人が診ています」
 柏木先生の憂い顔が安堵したような表情へと変わった。
「香川…教授はそこいらの『内科・精神科・心療内科』などの看板を掲げている怪しげなクリニックの医師よりもはるかに知識があるし、呉先生は優秀な精神科医だ。兵頭さんの件は大船に乗った気でいても大丈夫だな。ただし、自死には気をつけような!!患者さんが抑うつなのでは?と思ったときのことを医局員が共有できるようにクラウドに上げておく」
 柏木先生もこの医局に響き渡るほどの大声だった。医局長としての職務を全うする気らしい。こういう、阿吽あうんの呼吸というか、祐樹の意図したことが即座に反映されるのが香川外科だ。
「ではよろしくお願いします。さて、久米先生先ほどは助かりました。本当にありがとうございます」
 祐樹のデスクに近づいていくと久米先生の身体に隠れて少ししか見えないが、豪華そうな果物かごが覗いている。「ああ、これを守っていたのか」と思うと何だか脱力した。
 医局のドアの小窓に夏輝の顔が写ったような気がした。そういえば夏輝に「男性が性的に見られることへの不快感」を聞こうとしていた。果物かごにはメロンやマンゴーなどの高級果物が並んでいるのを視認した。川口さんや西さんは、たとえ患者さんの家族から貰ったにせよ、こんな豪華な果物かごを持ってきたのはメンズナースのセクハラに対して彼らがどれほど迷惑に感じているかを、祐樹に伝えたかったに違いない。

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